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さて,教える,教わるという行為に近頃思うのが,世の中便利になりすぎて,ホント主体的に勉強する人と受身的に勉強する人の差が明確になってくるだろうという期待と危惧です.
僕が好きな本の 思考の整理学 (ちくま文庫) の一節ですが,
いまの学校は,教える側が積極的でありすぎる.親切でありすぎる.何が何でも教えてしまおうとする.それが見えているだけに,学習者は,ただじっとして口をさえあけていれば,ほしいものを口へとはこんでもらえるといった依存心を育てる.学校が熱心になればなるほど,また,知識を与えるのに有能であればあるほど,学習者を受身にする.本当の教育には失敗するという皮肉なことになる (pp18)と述べられています.ここで受身というのは,真面目に学習するとかしないとかじゃなく,問題(課題)を自分で作る能力の損失だと僕は解釈しています.
僕もADOCシリーズを開発したこともあり,技術のパッケージ化とかクリニカルクラークシップとか,システマティックに大賛成の人間です.しかしこれらのツールは,あくまで「学習者自身が学ぶ機会を創出するため」に作るわけであり,学ぶというのは,他人のの正解を探すことではなく,クライエントや自分自身とのインタラクションを半構成的に創りだすことで,自分自身で問題と答えを作るためのツールでなくてはならないと思っています.
とりあえずここまでで・・・
最後まで読んでくださりありがとうございました.
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