2011年4月28日木曜日

僕の作業療法のルーツ

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tomori@宮古島です.
おばあが危篤で帰省中です.おじいは若い時に亡くなったので,
一人で5人の子供を育ててきた,おばあ.痩せこけてしまった.
おばあが作るキャンベルスープ美味しかったなー.

さて,僕の作業療法にもっとも影響を与えた論文を紹介します.
21世紀の作業療法を目指して Evert M, 長谷龍太郎. OTジャーナル31. 1997.


13年前.学生のころ図書館で見つけてたまたま見つけて,今でも良く読み返しています.

「われわれOTは人間の作策遂行 (occupational performance)を扱っています.片麻痺や脊悩損傷を扱っているのではありません.いいですか,人間の作業遂行なのです.それは息者としての死期が近づいた者としての職業人や学生としてのさまざな場面での作業遂行なのです」

→僕が学生のころはばりばりの機能訓練の授業でした.別に作業療法ってこんなもんだろうと疑ってもいませんでした.しかしこの文章を読んで,作業療法の良いところはこれだ!と震えたのを覚えています.それから,周りがどんなに反対しても,あいつはおかしいと言われても,「作業遂行」にこだわってきました.

そして偶然にもADOCが生まれました,非常に嬉しいことに,ADOCの名付けの親は,この論文の著者で,僕の今の上司の長谷先生です.


「患者に稚拙な活動を押しつけて,幼稚園児のように扱い,混乱させるのはやめてほしいのです」

→学生ながらに,作業療法でカラオケやスケートボードをして,患者さんに意味あるのかなと生意気に思っていました.今日もおばあの家を掃除していて,デイケアでやっていた塗り絵を見つけて,臨床にいたころ塗り絵は良く患者さんにやってもらったけど,寂しい気持ちになりました.作業遂行とは何でもいい訳ではなくて,本人にとって意味のある作業じゃないといけない.だから皆が意味のある作業を見つけられるようにADOCを開発しました.


「私はセラピス卜が「私は患者の治療しか頭にありません」という発言を聞くたびに嫌な気持ちになりました.そのセラピストには作業療法が分かっていないのです.社会で生活している以上,セラピストは患者と一対一の訓練を行っているだけでは間違っています」

→社会参加が作業療法の最終的な目標です.患者さんだけでなく,社会(環境)をもかえなければいけません.作業療法って受ける患者さんからすれば,とっても嬉しいだろうと勝手ながら思っています.だって僕が患者さんなら機能訓練はやらない.我慢,きつい思い,痛い思いまでして長生きしたくない.でも自分にとって大事な作業をすることって他人には分かりづらいだけでなく,患者さん本人も分かっていないことがしばしあ.またリハビリテーションという言葉自体が生む誤解も重なって,作業療法の良さが社会には分かりづらいものになっているのは事実です.だからADOCは,患者さんや家族,他職種にも分かりやすい説明ができるように書面化できるようにしました.

温故知新.僕にできることは先人の教えを次につなぐことだけです.

2 件のコメント:

  1. こんばんは。
    私も、自分がクライアントになったら、
    またできるようにさせてほしい作業が沢山あります。
    ADLや、ほかの何ができなくても。
    それを忘れないように、臨床をがんばります。
    今度、お会いできるのを楽しみにしています。ありがとうございます。

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  2. ぬまたさん

    お返事遅れました.今度ゆっくりお話できればと思います.
    よろしくお願いいたします!

    返信削除

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