カミさんが,「何も仕事せずに(三女を)見ていたい〜」とつぶやいたら,長女が「じゃパパになればいいじゃ〜ん」って.彼女の中で仕事していない人の代名詞になっていました.tomoriです.
さて,ADOCを韓国語に対応させました.確かに僕は何も実働していません(笑) 翻訳は日本に留学経験がある李さんを中心とした韓国OTの皆さまにお願いしました.プログラミングはいつものとおりレキサスさんへ... この場を借りて感謝申し上げます,
これでADOCは日本語,英語,韓国語に対応しています.もちろん言語のみで,イラストや項目は日本文化がベースとなっています.写真もおもいっきり囲碁のイラストやし(笑)
いうまでもなく,ADOCはイラストと項目がポイントです.今のADOCが,そのまま海外でも使いやすいツールになるとは思っていませんが,海外では多国籍のクライエントにも対応しなければいけないと思うので,ADOCのコンセプトは結構使えると思うんですよね.この辺の対応をどうするかも考えていきたいです.
8月に韓国に行けることになったので,まずは他国にADOCのイラストと項目を対応させるためのモデルとして,お隣りの韓国からやってみようと思っています.
ADOCのバージョンアップはこちらから
最後まで読んでいただきありがとうございました.
以下,書いてある通りには実行出来ていませんが,海外の方とどうやって仕事をすればよいか,具体的に書いてある本です.特に「プロジェクト単位で仕事をする」という点において,勉強になりました.
2013年6月13日木曜日
2013年6月9日日曜日
大阪学会で会いましょう.
焼き立てのタコ焼きに果敢に挑み,口唇部2度熱傷のtomori です.
さて,その大阪学会ですが,今年も嬉しいことがあります.
CD-ROMで,演題名→ADOC を検索したところ9演題ありました.
演題名には無いのですが,ADOCを使った演題があと4つあって,全部で13演題です.
そんなことより断然嬉しいのは,そのなかで僕の名前が無い演題が5つあるということです.
もちろん演者は知ってる方もいますが,それでも僕が知らないところで発信されているということは,ADOCを皆さまで育ててもらってるんだなぁと,しみじみ感じます.
松本で開催された訪問リハ学会でも,ADOCの演題もあったとか...
いつも言ってますが,僕は産みの親ですが,育てることができません.2011年の七夕にリリースしてからまだ3年です.こんな使い方あるぜ〜とか,こんな人に有効だった〜とか,ここはダメやけどこうすれば回避できるなぁ〜とか,皆さまで「使いやすいツール」に育てていただければと思います.
最後まで読んで下さりありがとうございました.
大阪学会では気をつけようと思います.どなたか美味しいたこ焼きやさんを紹介してください.
さて,その大阪学会ですが,今年も嬉しいことがあります.
CD-ROMで,演題名→ADOC を検索したところ9演題ありました.
演題名には無いのですが,ADOCを使った演題があと4つあって,全部で13演題です.
そんなことより断然嬉しいのは,そのなかで僕の名前が無い演題が5つあるということです.
もちろん演者は知ってる方もいますが,それでも僕が知らないところで発信されているということは,ADOCを皆さまで育ててもらってるんだなぁと,しみじみ感じます.
松本で開催された訪問リハ学会でも,ADOCの演題もあったとか...
いつも言ってますが,僕は産みの親ですが,育てることができません.2011年の七夕にリリースしてからまだ3年です.こんな使い方あるぜ〜とか,こんな人に有効だった〜とか,ここはダメやけどこうすれば回避できるなぁ〜とか,皆さまで「使いやすいツール」に育てていただければと思います.
最後まで読んで下さりありがとうございました.
2013年6月2日日曜日
意味のある作業にADLは含まれないと思っていませんか?
先日の誕生日.家族から「今日は何でもやりたいことやっていいよ」と言われ,「特に無い」と,とてもADOCの開発者とは思えない返事を言い放った,あまのじゃくの tomoriです.やらなければいけないことはメモしないと忘れるくらい沢山あって,10秒以内に出てくるのに,やりたいことは促されても出てこないとか... 人生とても虚しく感じました.
何がいいたいのか.本人がやりたい作業だけが「意味のある作業」ではないし,本人がやりたい作業だけをできるようにすることだけが,「作業に焦点を当てた実践」ではないということです.もちろん本人の希望は最大限尊重する.これは希望というより,もはや夢だなぁと思うことも一旦も受け止めます.でも,いくら本人が希望するからといって,いま必要なセルフケアをそっちのけで余暇活動ができればいいってもんじゃないですよ〜ってことです.それは専門職の放棄だと思います.
僕らの ADOC では Shared decision-making(SDM)を重視しています.クライエントも専門職も,同じ立場で,パートナーとして,意見し合う関係です.その関係性を作りつつ,目標とする作業を重要度と緊急度のマトリクスで整理することをオススメします.
重要度と緊急度のマトリクスで整理することで,全体のつながりが可視化できます.今は歯磨きやトイレの練習をするけども,ゆくゆくは調理,水泳,外食に関する練習もしましょうねと.もちろん,外食できなくても病院のフロアでいいから友達と談笑したいということで,外食の緊急度を高くして,先にやっちゃうことも可能です.
とかく作業の全体を見た上で,今なにするか考えることが大切です.下図のようになると,ADLができることが最終目的になってしまいます.
歯磨きやトイレができるようになることが人生やリハの最終目標なんて,チョー淋しすぎませんか? 今取り組まないにしても,本人にとって重要な作業,叶えたい生活へ向かっているという感覚を持ってもらうことが重要だと思います.
それをふまえた上で,も一回言いますが,本人がやりたい作業だけが「意味のある作業」ではないし,本人がやりたい作業だけをできるようにすることだけが,「作業に焦点を当てた実践」ではないということです.
最後まで読んでくださいありがとうございます.
さて,今日は意味のある作業について書いてしまいやす.意味が含まれているのが作業なので,意味がある作業って言葉はあまり好きではないのですが,それはさておき...
まずWFOTの「作業療法におけるクライエント中心」では,「作業療法の目的について,個人的にしたいと思う作業,する必要がある作業,社会的に文化的にすることを期待されている作業に参加することを,クライエントができるようになることである」と定義されています.これよく見てください.3つのうち2つは,本人の希望ではなく,周りから求められるような作業ですよね.
じゃ作業とは何か,ということですが,基本的に,セルフケア,生産活動(仕事や学業),レジャーです.侍さん力作のCMOPの図を見てください.黄色が作業ですが,丸いですよね.丸みにも意味があります.カナダのモデルでは,この3つの「バランス」が重視されています.セルフケア,仕事,レジャー,どれも大切で,いずれかに偏ってはいけないということなんです.
急性期の作業療法士と話す機会がよくあるのですが,皆さん「最近,肩身が狭い気がするんだよね」と言います.「意味のある作業」とか「作業に焦点を当てた実践」とか,GOGO計画での地域推進とか聞くと,うちら急性期はね〜みたいな.それっておそらくこういうイメージだと思うんです.クライエントの重要度を重視した場合.
これは半分正解で,半分不正解だと思っています.僕は,今のsituationで価値のある作業も,十分に「意味のある作業」だし,その作業ができるように支援するのが「作業に焦点を当てた実践」だと思います.
これは半分正解で,半分不正解だと思っています.僕は,今のsituationで価値のある作業も,十分に「意味のある作業」だし,その作業ができるように支援するのが「作業に焦点を当てた実践」だと思います.
何がいいたいのか.本人がやりたい作業だけが「意味のある作業」ではないし,本人がやりたい作業だけをできるようにすることだけが,「作業に焦点を当てた実践」ではないということです.もちろん本人の希望は最大限尊重する.これは希望というより,もはや夢だなぁと思うことも一旦も受け止めます.でも,いくら本人が希望するからといって,いま必要なセルフケアをそっちのけで余暇活動ができればいいってもんじゃないですよ〜ってことです.それは専門職の放棄だと思います.
僕らの ADOC では Shared decision-making(SDM)を重視しています.クライエントも専門職も,同じ立場で,パートナーとして,意見し合う関係です.その関係性を作りつつ,目標とする作業を重要度と緊急度のマトリクスで整理することをオススメします.
重要度と緊急度のマトリクスで整理することで,全体のつながりが可視化できます.今は歯磨きやトイレの練習をするけども,ゆくゆくは調理,水泳,外食に関する練習もしましょうねと.もちろん,外食できなくても病院のフロアでいいから友達と談笑したいということで,外食の緊急度を高くして,先にやっちゃうことも可能です.
とかく作業の全体を見た上で,今なにするか考えることが大切です.下図のようになると,ADLができることが最終目的になってしまいます.
歯磨きやトイレができるようになることが人生やリハの最終目標なんて,チョー淋しすぎませんか? 今取り組まないにしても,本人にとって重要な作業,叶えたい生活へ向かっているという感覚を持ってもらうことが重要だと思います.
それをふまえた上で,も一回言いますが,本人がやりたい作業だけが「意味のある作業」ではないし,本人がやりたい作業だけをできるようにすることだけが,「作業に焦点を当てた実践」ではないということです.
最後まで読んでくださいありがとうございます.
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