4月1日付けで講師→准教授に昇格します.tomori です.頂いておきながらさっそくこんな事言うのもなんですが,正直ボク職位とかあまり興味がないんですよね(汗... 外見より中見,実力が大切だと思っています.なので職位に関係なく,これまでどおりベストを尽くしてやるだけです.
しかし,自分の進路も自分で決めず(笑→リンク),無能な僕が准教授までなれたのは,たくさんの方々のご指導があったからです.本当に本当に感謝です.あ,無能というのは,逆に何かを詰め込むスペースがあるということでイイかもしれません.
さて,今年の講演活動なんですが,まず5月5日に湘南OTでお話させていただきます.現在,籔脇先生,藤本先生の編集により,本を分担執筆させてもらっており,その筆者が集結です.オールスター祭ということで,ボクは他のスターさんのバッティングピッチャーに徹します.
ボクは「大切な作業を実現する方法」の担当で,トップダウンアプローチについてお話させていただこうと思っています.いつもながらボクは難しい話はできません(笑).薄っぺらい内容ですので,初学者でも,学生さんでも,どうぞお気軽にご参加ください→申し込み
また9月15日には 日本作業行動学会 のシンポジストとしてお呼びいただいています.
テーマは「OBPのイノベーション」.まさにカレーと宮古そば.日本酒と刺身.つまりボクの好きな言葉を2つ並べた感じです(笑) 確か研究ベースの話だったと思いますので,こちらは先行研究や自分の研究結果を交えながら,OBPのイノベーションについて少しカッコつけてお話できればと思います.じゃたまにはスーツかな〜(笑)
今年は講演もこの2つだけなので,教育・研究・執筆活動をしっかりやっていこうと思います.
最後まで読んでいただきありがとうございました.
2013年3月25日月曜日
作業に焦点を当てることと機能訓練の関係について
昨日は琉球OTさんのいびきで眠れませんでした.tomoriです.
さて,作業に焦点を当てた作業療法とはなんでしょう... この言葉が意味するもの,解釈は人それぞれなのが現状です.ただし,この言葉は誰かが新しく考えたものでもないし,そもそもOTに古くからある考え,実践されてきたもの,とも言われているので,改めて定義付ける必要もないと思っています.ここでの見解はあくまで僕個人の解釈です.
AMPSやOTIPMの開発者であるFisherは,最新の論文で以下のの3つを定義付けています.
1) Occupation-centered
2) Occupation-based
3) Occupation-focused
概説として,1) は作業の観点を持つこと,作業的存在について考えることなど,作業療法のコアな考え方や視点であり,その実践方法が,2)や3) という位置づけだそうです.2) は人が作業に従事することそのものを通して評価や介入すること.3)は人のすぐ近くの作業自体に焦点を当て(注意を向け),評価や介入をすること.だそうです.3) が僕の読解力ではよくわかりませんでしたが,proximal(基部に近い), immediate (目前の)な作業にfocusするということで,作業ができるようになるために話をしたりするというのが3),作業そのものを通して直接的に評価や介入をするというのは2),という違いでしょうね.まあいずれにせよ,機能面の改善に焦点をあてるようなら2)でも3)でもないと繰り返し強調されていました.
ただ僕は思うんです.いや多くの人がそう思っていると思います→ 機能訓練も必要だと.作業ができること,その目的達成のために機能訓練が近道だと判断されるならば.要は作業ができること,という1)の考えをしっかりと持ったOTならば,上手に「意味のある」機能訓練を実施しています.
侍OTさんは,課題指向型訓練とTransfer package を用いて,クライエントのSTEFが20点から80点に,MALのAOUが0.35から4.08に向上しました.それだけでなく,「まだまだ病気になる前と比べたら全然だけど,気がつけば自然に右手を使っている」「これから家に帰れば,難しいことがまだまだ起こると思うけど,難しいことが起こっても,これまで解決してきたように,頭と体を両方使えば解決できると思う」「この入院でリハビリの考え方が変わった.どうすれば自分の身体をしっかり使いながら楽しい生活ができるのか.その方法がわかった」と述べていたようです.
作業ができること,という目的からCLやOTがそれやすいので,機能訓練より,2)と3)が推奨されるのであって,作業ができることという目的からそれなければ機能訓練もありでしょう.侍さんの事例は,その良い例だと思います.ただ機能訓練も,最近では課題指向型が推奨されつつありますので,ベッドで寝かせてROMというPassiveがメインな介入は再考の余地があるようです.
Tromblyは,1995年のEleanor Clarke Slagle Lectureで,運動機能障害とADLの相関が31%で,ADLの69%は運動機能障害以外できまると述べています(引用が明確に示されていませんが).でもまあ当然ですよね(笑)
鈴木誠先生も,機能訓練と運動技能訓練の両側面からのアプローチが必要であるとしています(行動リハビリテーション 第 1 巻 2-15 2012; 日常生活動作訓練について考える).そもそも人は何か作業をするには,その作業から要求される基礎的能力が必要ですよね.それを「機能的閾値」として,それを境に自立,非自立の確率が異なるとしています.ただ機能訓練だけ行えばよいわけではなく,特に中途障害になった患者さんなどは動作学習に新たな「新たな行動連鎖」を再学習する必要があり,それには直接的な動作練習が必要であると述べられています.
もちろんMETsみたいに,各活動で機能的閾値が明確に決まっているわけではないですが,考え方としては面白いなと思っています.そしてOTが「作業に直接的に練習できないから,それが早くできるようになるために機能訓練をしている」という意識を持っていて,それを最初にクライエントにちゃんと説明していれば,作業を早め早めに導入できるじゃないでしょうか(希望的観測).
さらに機能を生活にどう汎化させていくのか,それを具体的にどうやるのか.それはやはり竹林さんたちの課題指向型訓練とTransfer package(TP)が参考になりますね.特に上肢機能を生活でどう使うかクライエントと一緒に考えていく戦略のTPは今の作業療法に非常に必要だと思っています.自分の回復期での臨床のころもそうでしたが,機能訓練を実施して,ADLで実際的に介入もしましたが,どこかセラピスト主導で,クライエント自身の考える力をつけるような関わりはしていなかったなぁと反省しています.
それを証拠に,竹林さんたちの介入はたった2週間ですが,半年後,1年後と機能の向上,MALの向上(生活での手の使用頻度など)が見られます.これって素晴らしいことですよね.まだ論文にはなってないようですが,健康関連QOLも改善が見られるとか.たった2週間の集中的介入で,クライエントが自分自身で健康になっていく,まさにMary Reillyの有名な仮説 "Man, through the use of his hands, as they are energized by mind and will, can influence the state of his own health." を実証しているスゴイことだと僕は思います.本人は全く知らないけど(笑).
つまり僕は何が言いたいのか.医療は日進月歩.いまは機能訓練と言えど,もはや以前のように機能を向上させる機能訓練ではなく,クライエントの生活をどう改善するのか,向上した機能をどうやって生活に汎化させるのか,臨床データに基づいて検証がなされていますし,セラピストも機能訓練を冷静かつ真摯に考えています.前の機能訓練とは違います.
サッカーの練習で,リフティングの練習だけしてもうまくならないし,実践だけやってもうまくならないですよね.なんかそんなのが重量挙げの研究でもあったなぁ...
最後まで読んでくださりありがとうございました.
さて,作業に焦点を当てた作業療法とはなんでしょう... この言葉が意味するもの,解釈は人それぞれなのが現状です.ただし,この言葉は誰かが新しく考えたものでもないし,そもそもOTに古くからある考え,実践されてきたもの,とも言われているので,改めて定義付ける必要もないと思っています.ここでの見解はあくまで僕個人の解釈です.
AMPSやOTIPMの開発者であるFisherは,最新の論文で以下のの3つを定義付けています.
1) Occupation-centered
2) Occupation-based
3) Occupation-focused
概説として,1) は作業の観点を持つこと,作業的存在について考えることなど,作業療法のコアな考え方や視点であり,その実践方法が,2)や3) という位置づけだそうです.2) は人が作業に従事することそのものを通して評価や介入すること.3)は人のすぐ近くの作業自体に焦点を当て(注意を向け),評価や介入をすること.だそうです.3) が僕の読解力ではよくわかりませんでしたが,proximal(基部に近い), immediate (目前の)な作業にfocusするということで,作業ができるようになるために話をしたりするというのが3),作業そのものを通して直接的に評価や介入をするというのは2),という違いでしょうね.まあいずれにせよ,機能面の改善に焦点をあてるようなら2)でも3)でもないと繰り返し強調されていました.
ただ僕は思うんです.いや多くの人がそう思っていると思います→ 機能訓練も必要だと.作業ができること,その目的達成のために機能訓練が近道だと判断されるならば.要は作業ができること,という1)の考えをしっかりと持ったOTならば,上手に「意味のある」機能訓練を実施しています.
侍OTさんは,課題指向型訓練とTransfer package を用いて,クライエントのSTEFが20点から80点に,MALのAOUが0.35から4.08に向上しました.それだけでなく,「まだまだ病気になる前と比べたら全然だけど,気がつけば自然に右手を使っている」「これから家に帰れば,難しいことがまだまだ起こると思うけど,難しいことが起こっても,これまで解決してきたように,頭と体を両方使えば解決できると思う」「この入院でリハビリの考え方が変わった.どうすれば自分の身体をしっかり使いながら楽しい生活ができるのか.その方法がわかった」と述べていたようです.
作業ができること,という目的からCLやOTがそれやすいので,機能訓練より,2)と3)が推奨されるのであって,作業ができることという目的からそれなければ機能訓練もありでしょう.侍さんの事例は,その良い例だと思います.ただ機能訓練も,最近では課題指向型が推奨されつつありますので,ベッドで寝かせてROMというPassiveがメインな介入は再考の余地があるようです.
Tromblyは,1995年のEleanor Clarke Slagle Lectureで,運動機能障害とADLの相関が31%で,ADLの69%は運動機能障害以外できまると述べています(引用が明確に示されていませんが).でもまあ当然ですよね(笑)
鈴木誠先生も,機能訓練と運動技能訓練の両側面からのアプローチが必要であるとしています(行動リハビリテーション 第 1 巻 2-15 2012; 日常生活動作訓練について考える).そもそも人は何か作業をするには,その作業から要求される基礎的能力が必要ですよね.それを「機能的閾値」として,それを境に自立,非自立の確率が異なるとしています.ただ機能訓練だけ行えばよいわけではなく,特に中途障害になった患者さんなどは動作学習に新たな「新たな行動連鎖」を再学習する必要があり,それには直接的な動作練習が必要であると述べられています.
もちろんMETsみたいに,各活動で機能的閾値が明確に決まっているわけではないですが,考え方としては面白いなと思っています.そしてOTが「作業に直接的に練習できないから,それが早くできるようになるために機能訓練をしている」という意識を持っていて,それを最初にクライエントにちゃんと説明していれば,作業を早め早めに導入できるじゃないでしょうか(希望的観測).
さらに機能を生活にどう汎化させていくのか,それを具体的にどうやるのか.それはやはり竹林さんたちの課題指向型訓練とTransfer package(TP)が参考になりますね.特に上肢機能を生活でどう使うかクライエントと一緒に考えていく戦略のTPは今の作業療法に非常に必要だと思っています.自分の回復期での臨床のころもそうでしたが,機能訓練を実施して,ADLで実際的に介入もしましたが,どこかセラピスト主導で,クライエント自身の考える力をつけるような関わりはしていなかったなぁと反省しています.
それを証拠に,竹林さんたちの介入はたった2週間ですが,半年後,1年後と機能の向上,MALの向上(生活での手の使用頻度など)が見られます.これって素晴らしいことですよね.まだ論文にはなってないようですが,健康関連QOLも改善が見られるとか.たった2週間の集中的介入で,クライエントが自分自身で健康になっていく,まさにMary Reillyの有名な仮説 "Man, through the use of his hands, as they are energized by mind and will, can influence the state of his own health." を実証しているスゴイことだと僕は思います.本人は全く知らないけど(笑).
つまり僕は何が言いたいのか.医療は日進月歩.いまは機能訓練と言えど,もはや以前のように機能を向上させる機能訓練ではなく,クライエントの生活をどう改善するのか,向上した機能をどうやって生活に汎化させるのか,臨床データに基づいて検証がなされていますし,セラピストも機能訓練を冷静かつ真摯に考えています.前の機能訓練とは違います.
サッカーの練習で,リフティングの練習だけしてもうまくならないし,実践だけやってもうまくならないですよね.なんかそんなのが重量挙げの研究でもあったなぁ...
最後まで読んでくださりありがとうございました.
2013年3月21日木曜日
作業療法を学ぶ 2013版
春うらら,花あかりに誘われて... など花言葉でも宣わってみたい爽やかな季節がやってきましたが,目はしょぼしょぼ,ノンストップ鼻水のtomori です.今年は花粉がひどい.そして黄砂にPM2.5.風流ある美しい景色は見た目では今までと何も変わらないのですが.環境破壊は見えないところで意外と早く進んでいるのかもしれませんね.
さて,今年も「作業療法を学ぶ」を編集しました.いつも2年生に配布しています.一足先にブログでアップします.
作業療法士を志して早1年が過ぎましたが,大学での勉強って高校までの勉強とちょっと違うなと薄々感づいてきた人はいますか?.大学も一応学校なので,理屈上は,授業をよく聞き,先生の教えを守り,テストで良い点を取ることが立派な作業療法の道に繋がっているはずなんです.なんですが,個人的にはむしろ逆の場合が多いと思っています.実際,学校で優秀な成績の学生が実習で苦労し,6割スレスレの学生が活き活きと実習をすることも少なくないです.なぜでしょう…
作業療法では,先生の教えや教科書に書いてあることを覚える記憶力より,それらをベースに自分で考える能力が必要になるからです.なぜ考えることが必要かというと,作業療法はマニュアルや答えがありません.医療の中でも不確実性が高い学問だからでしょう.
例えば,医師は患者さんの症状にあった薬を処方します.薬は禁忌事項や適応,数量など細かく規定されていますので,患者さんの症状を理解できれば,ある程度マニュアルに沿って薬を処方することも可能です.一方,作業療法は「作業を通してクライエントの健康と参加を促進すること」が目的です.医師が薬を処方するように,クライエントが今よりも健康になるための作業遂行を一緒に考えます.
そもそも健康ってつかみ所が無い,見えにくいものです.見た目の健康状態は同じでも,クライエント一人ひとり感じ方が異なります.例えば五体不満足の乙武洋匡さんが「自分は健康だ」と言い,五体満足の方が「不健康だ」と言う事からも分かる通り,人にとって自分の健康とは何かと定義するだけでも難しいです.加えて,作業.これは手工芸だけでなく日常の活動全てが対象となるので,人が営む作業についても幅広い知識と経験が必要です.
男性の作業療法士が化粧好きのクライエントを担当しますし,女性の作業療法士が木工好きのクライエントを担当することもあります.そもそも一人暮らしも料理さえもしたことない人が,他人の一人暮らしや料理ができるように支援するという.そんな時,自分には出来ませんので他の作業にしましょうと言えますか? 言えませんよねぇ.
よって基礎医学の勉強ばかりじゃなくて,学生時代から色んな場所で,色んな作業の経験をしてください.そういう意味では365日作業療法の勉強はできます.座学の勉強と同じくらい社会経験も大切です.年齢や性別などに関係なく,何でも自分で実際に体験してみてください.だからといって遊んでばかりでは無理なんですが.なんでも中庸が大切です.
このように,心身機能,人生,希望,健康,参加,作業,環境などなど,作業療法で扱うものは全て複雑です.この組み合わせを考えるわけですから,作業療法は「これが正解です!」と定式化できるものではありません.まあ,だから作業療法という仕事が必要になるわけですが(笑).今後いろんな仕事が機械に取られていきます.ROM訓練,筋力訓練などは,ロボットでも一部対応可能になってきました.複雑な仕事は,難しい分,人にしかできません.皆さんは,目の前の患者さん一人一人の心身機能,人生,希望,健康,参加,作業,環境をチャンプルー(沖縄の方言でごちゃまぜ)にして,患者さんが健康になる作業遂行は何か,またどうすればできるようになるのか一生懸命考えるのです.
僕は別に皆さんを脅してなんかいません.「作業療法士なんてムリだ…」と思うのも全然早いです.僕は,早いうちにこの仕組みに気づき,少しずつ自分自身を適応させていけば,将来の混乱は回避できる.いや回避とうより,自分で考える癖がつけばOTが楽しくなると言いたいのです.私も現場で働いていたころ,自分なりに考えた評価を行って,あーでもないこーでもないと試行錯誤しながら患者さんと一緒に作業遂行について考えて,軌道修正しながら目標を達成し,「先生のことは一生忘れません」と言われた時,「俺って人の役に立ってるー」( ̄∇+ ̄)vキラーン と自分に酔いました(笑).
あいにく福祉の心も将来の夢すら持ち合わせていなかった私は,浪人中に親戚に勧められて作業療法の学校を受験しましたが,今はこの仕事に就いて本当によかったと思っています.いつか皆さんにも「これだからOTってやめられないよね」という境地を迎える日が来ることでしょう.それまでの道のりは決して楽ではないです.し作業療法は自分って人のためになっていると直に感じることができる仕事です.充実感もあり,社会の為にもなる仕事って最高の仕事だと思います.ちなみにアメリカではBest jobとして上位にランクしています.
くどいですが,楽しくなるポイントは自分で考えるということです.考えることは効率が悪く,無駄や失敗も多いです.試験範囲だけを勉強したり,過去問をもらって覚えたりする勉強法とは真逆です.例えば,大学から品川に行くという課題を出されたとして,高校までは中央駅から京急の快特に乗れと教えられますが,大学ではコンパスだけ渡されて北に行けと言われる感じでしょうか.かなり面倒です.時間かかっていいし,失敗してもいい.その旅路において,自分で考える力を養うことができます.義務教育ではいかにミスを少なく皆に基礎学力をつけるかでしたが,大学はミスしてもいいのでチャレンジ精神を養うところです.もし失敗しても,「専門家とは自分の分野で,おかしうるであろう失敗を全て経験した人のことだ」(ニールス・ボーア)と言い切って結構.
私は,皆さんには考える力はあると信じています.考えられないんじゃなくて,考え方が分からないのだろうと思っています.高校を卒業すれば,正解がない問題を出されるので,正解できなくて当たり前.私たちは作業療法について分からないからこそ学費を払ってまで勉強していると切り替えて,どんどん質問しましょう.それが考える力を養う近道だし,作業療法が楽しくなる近道です.
さて,今年も「作業療法を学ぶ」を編集しました.いつも2年生に配布しています.一足先にブログでアップします.
作業療法を学ぶ [2013版]
作業療法士を志して早1年が過ぎましたが,大学での勉強って高校までの勉強とちょっと違うなと薄々感づいてきた人はいますか?.大学も一応学校なので,理屈上は,授業をよく聞き,先生の教えを守り,テストで良い点を取ることが立派な作業療法の道に繋がっているはずなんです.なんですが,個人的にはむしろ逆の場合が多いと思っています.実際,学校で優秀な成績の学生が実習で苦労し,6割スレスレの学生が活き活きと実習をすることも少なくないです.なぜでしょう…
作業療法では,先生の教えや教科書に書いてあることを覚える記憶力より,それらをベースに自分で考える能力が必要になるからです.なぜ考えることが必要かというと,作業療法はマニュアルや答えがありません.医療の中でも不確実性が高い学問だからでしょう.
例えば,医師は患者さんの症状にあった薬を処方します.薬は禁忌事項や適応,数量など細かく規定されていますので,患者さんの症状を理解できれば,ある程度マニュアルに沿って薬を処方することも可能です.一方,作業療法は「作業を通してクライエントの健康と参加を促進すること」が目的です.医師が薬を処方するように,クライエントが今よりも健康になるための作業遂行を一緒に考えます.
そもそも健康ってつかみ所が無い,見えにくいものです.見た目の健康状態は同じでも,クライエント一人ひとり感じ方が異なります.例えば五体不満足の乙武洋匡さんが「自分は健康だ」と言い,五体満足の方が「不健康だ」と言う事からも分かる通り,人にとって自分の健康とは何かと定義するだけでも難しいです.加えて,作業.これは手工芸だけでなく日常の活動全てが対象となるので,人が営む作業についても幅広い知識と経験が必要です.
男性の作業療法士が化粧好きのクライエントを担当しますし,女性の作業療法士が木工好きのクライエントを担当することもあります.そもそも一人暮らしも料理さえもしたことない人が,他人の一人暮らしや料理ができるように支援するという.そんな時,自分には出来ませんので他の作業にしましょうと言えますか? 言えませんよねぇ.
よって基礎医学の勉強ばかりじゃなくて,学生時代から色んな場所で,色んな作業の経験をしてください.そういう意味では365日作業療法の勉強はできます.座学の勉強と同じくらい社会経験も大切です.年齢や性別などに関係なく,何でも自分で実際に体験してみてください.だからといって遊んでばかりでは無理なんですが.なんでも中庸が大切です.
このように,心身機能,人生,希望,健康,参加,作業,環境などなど,作業療法で扱うものは全て複雑です.この組み合わせを考えるわけですから,作業療法は「これが正解です!」と定式化できるものではありません.まあ,だから作業療法という仕事が必要になるわけですが(笑).今後いろんな仕事が機械に取られていきます.ROM訓練,筋力訓練などは,ロボットでも一部対応可能になってきました.複雑な仕事は,難しい分,人にしかできません.皆さんは,目の前の患者さん一人一人の心身機能,人生,希望,健康,参加,作業,環境をチャンプルー(沖縄の方言でごちゃまぜ)にして,患者さんが健康になる作業遂行は何か,またどうすればできるようになるのか一生懸命考えるのです.
僕は別に皆さんを脅してなんかいません.「作業療法士なんてムリだ…」と思うのも全然早いです.僕は,早いうちにこの仕組みに気づき,少しずつ自分自身を適応させていけば,将来の混乱は回避できる.いや回避とうより,自分で考える癖がつけばOTが楽しくなると言いたいのです.私も現場で働いていたころ,自分なりに考えた評価を行って,あーでもないこーでもないと試行錯誤しながら患者さんと一緒に作業遂行について考えて,軌道修正しながら目標を達成し,「先生のことは一生忘れません」と言われた時,「俺って人の役に立ってるー」( ̄∇+ ̄)vキラーン と自分に酔いました(笑).
あいにく福祉の心も将来の夢すら持ち合わせていなかった私は,浪人中に親戚に勧められて作業療法の学校を受験しましたが,今はこの仕事に就いて本当によかったと思っています.いつか皆さんにも「これだからOTってやめられないよね」という境地を迎える日が来ることでしょう.それまでの道のりは決して楽ではないです.し作業療法は自分って人のためになっていると直に感じることができる仕事です.充実感もあり,社会の為にもなる仕事って最高の仕事だと思います.ちなみにアメリカではBest jobとして上位にランクしています.
くどいですが,楽しくなるポイントは自分で考えるということです.考えることは効率が悪く,無駄や失敗も多いです.試験範囲だけを勉強したり,過去問をもらって覚えたりする勉強法とは真逆です.例えば,大学から品川に行くという課題を出されたとして,高校までは中央駅から京急の快特に乗れと教えられますが,大学ではコンパスだけ渡されて北に行けと言われる感じでしょうか.かなり面倒です.時間かかっていいし,失敗してもいい.その旅路において,自分で考える力を養うことができます.義務教育ではいかにミスを少なく皆に基礎学力をつけるかでしたが,大学はミスしてもいいのでチャレンジ精神を養うところです.もし失敗しても,「専門家とは自分の分野で,おかしうるであろう失敗を全て経験した人のことだ」(ニールス・ボーア)と言い切って結構.
私は,皆さんには考える力はあると信じています.考えられないんじゃなくて,考え方が分からないのだろうと思っています.高校を卒業すれば,正解がない問題を出されるので,正解できなくて当たり前.私たちは作業療法について分からないからこそ学費を払ってまで勉強していると切り替えて,どんどん質問しましょう.それが考える力を養う近道だし,作業療法が楽しくなる近道です.
ようこそ作業療法へ.
2013年3月18日月曜日
英文抄録の書き方−WFOTへの道-
英語検定5級保持者 tomori です(笑)
しかし好きこそものの上手なれといいますが,英語力だけはなかなか伸びないですね〜.
日常会話も簡単な文章を書くのも出来ませんが,時間をかければ一応英語で論文は書けるようになりました.まさか自分が英語で論文を書くようになるなんて1ミクロンも思っていませんでしたが,これは意外に工夫でなんとかなります.現在,WFOTに向けて英文抄録されている方も多いと思いますので,少し僕の方法を書きます.参考になれば幸いです.
まず僕にとって,英語論文はパッチワーク作業です.パッチワークは材料になる切れ端の布が無いと作れません.必要なのは頭の中にある言いたいことを英語で書くという能力より,頭の中の書きたいことに似ているフレーズを,1)ストックする能力,2)検索する能力,3)継ぎ接ぎする能力です.その後,英文校正を依頼します.まあ言うまでもなく,一番は研究の内容ですが.それは今回はさておき...
1) 英文をストックする
これはクラウドに限ります.でないと次の検索ができないからです.僕は今のところ文献はEvernoteで管理しています.プレミアム会員です.理由は,検索が優秀,クラウドなのでどこからでも閲覧できること,タグがつけられること,Webの記事/word/画像/なんでもアップできること,スキャンした画像でも文字認識で検索できること(和文はイマイチ),などですね.
ストックしやすい環境を作ったら,骨格となるアブストラクト,論文を日頃から探します.よく論文が無い,という声を聞きますが,経験上,類似した論文はあります.検索のコツは以前の記事をご参照ください → 研究をするときの参考文献の探し方
Pubmedにユーザー登録すると便利です.アラートもできますし→,単語を検索すると色が付くようになります.
→ ナマケモノが文献を読む習慣作り
ちなみにめんどくさがりの僕は,もちろん日頃から文献を検索するということはほとんどしません.RSSで指定した単語,雑誌の目次などを1回/wで自動的に検索させて,自動的にgoogle reader 経由でEvernoteに自動的に保存されるようになっています.RSSなので,iPhoneで論文を閲覧します.よく学生に「先生はiPhone触ってばっか」と言われますが,結構歩きながら文献とか見てるんですよ(笑)
→クラウド時代の論文作成術2 英語論文の情報収集
あと英語の著書,AOTAのガイドライン,英語論文作成のサイトの例文,英作文の本など,全てEvernoteで一元的にストックしています.これが他の文献管理ソフトで一元化しにくいんですよね.文献を紙でストックしていたら,パッチワークは無理です.サクっと検索ができないんですね.でもある程度英語書けますという方ならOKでしょう.
2) フレーズを検索する
僕は,まずザーッと日本語で箇条書きします.まあ英語の前に,これが一番大切なんですが... 本当に簡単な文なら単語を調べるだけで書きますが,多くは箇条書きした日本語で使われてる動詞をEvernoteで検索します.その論文で使われている文章の前後を見て,活用できるか判断します.動詞というのがポイントです.動詞はたくさん覚えておいたほうがいいですね.
単語の意味を調べるときには えいじろう を使っています.これは文章も出てくるのでホント優秀です.Evernoteではなく,えいじろう の例文の単語を変更し,そのまま書くこともよくあります.
3) 継ぎ接ぎする
書きたい文はおおよそ1-3文型のどれかにして,あとは関係代名詞とかをつけて修飾しておけばいいですね.4-5文型はあまり使われないのではないでしょうか.あと日本語英語っぽくなるので接続詞はあまりつけません.その他,時制,冠詞などは英文校正にお任せするので,あまり考えません(笑).
翻訳ソフトは 翻訳ピカイチ 2013 for Mac アカデミック版 を使っています.
安いですがイマイチです(笑).
翻訳ソフトに日本語を入れて訳させるのはダメです.それよりは前述の通り,論文から引っ張ってきて,単語や形容詞を変えるほうがいいです.僕は翻訳ソフトに英語を入れて日本語になるかどうか見ます.
以上... かなりまとまりのない文章になってしまって申し訳ございません.自分なりの英語論文作成の方法論がもう少し安定してきたら改めて書こうと思います.
一応以下の本が参考になりましたので,さらに詳しく知りたい方はどうぞ...
インターネット時代の英語医学論文作成術―プロが使っている究極のワザ
もちろん例文が乗っていたりと特効薬的なものではありません.読んだからといってすぐ書けるようになるものでもないです(笑).でもいくつか買ったなかでは,これがいいですね.特にアブストラクトの書き方が詳しく載っています.
あ,そうそう.論文自体どうやって書くの?という方には,これがいいかもです.ヘルプシートが付いているので,それを埋めていくだけで論文ができるみたいな.たしかに初めて英語論文を書いたときには,このシートを使いました.あとタイトルの例がいくつかあるので使えますね.
理科系のためのかならず書ける英語論文―論文作成用ヘルプ・シート付き
では,最後まで読んで下さりありがとうございました.
しかし好きこそものの上手なれといいますが,英語力だけはなかなか伸びないですね〜.
日常会話も簡単な文章を書くのも出来ませんが,時間をかければ一応英語で論文は書けるようになりました.まさか自分が英語で論文を書くようになるなんて1ミクロンも思っていませんでしたが,これは意外に工夫でなんとかなります.現在,WFOTに向けて英文抄録されている方も多いと思いますので,少し僕の方法を書きます.参考になれば幸いです.
まず僕にとって,英語論文はパッチワーク作業です.パッチワークは材料になる切れ端の布が無いと作れません.必要なのは頭の中にある言いたいことを英語で書くという能力より,頭の中の書きたいことに似ているフレーズを,1)ストックする能力,2)検索する能力,3)継ぎ接ぎする能力です.その後,英文校正を依頼します.まあ言うまでもなく,一番は研究の内容ですが.それは今回はさておき...
1) 英文をストックする
これはクラウドに限ります.でないと次の検索ができないからです.僕は今のところ文献はEvernoteで管理しています.プレミアム会員です.理由は,検索が優秀,クラウドなのでどこからでも閲覧できること,タグがつけられること,Webの記事/word/画像/なんでもアップできること,スキャンした画像でも文字認識で検索できること(和文はイマイチ),などですね.
ストックしやすい環境を作ったら,骨格となるアブストラクト,論文を日頃から探します.よく論文が無い,という声を聞きますが,経験上,類似した論文はあります.検索のコツは以前の記事をご参照ください → 研究をするときの参考文献の探し方
Pubmedにユーザー登録すると便利です.アラートもできますし→,単語を検索すると色が付くようになります.
→ ナマケモノが文献を読む習慣作り
ちなみにめんどくさがりの僕は,もちろん日頃から文献を検索するということはほとんどしません.RSSで指定した単語,雑誌の目次などを1回/wで自動的に検索させて,自動的にgoogle reader 経由でEvernoteに自動的に保存されるようになっています.RSSなので,iPhoneで論文を閲覧します.よく学生に「先生はiPhone触ってばっか」と言われますが,結構歩きながら文献とか見てるんですよ(笑)
→クラウド時代の論文作成術2 英語論文の情報収集
あと英語の著書,AOTAのガイドライン,英語論文作成のサイトの例文,英作文の本など,全てEvernoteで一元的にストックしています.これが他の文献管理ソフトで一元化しにくいんですよね.文献を紙でストックしていたら,パッチワークは無理です.サクっと検索ができないんですね.でもある程度英語書けますという方ならOKでしょう.
2) フレーズを検索する
僕は,まずザーッと日本語で箇条書きします.まあ英語の前に,これが一番大切なんですが... 本当に簡単な文なら単語を調べるだけで書きますが,多くは箇条書きした日本語で使われてる動詞をEvernoteで検索します.その論文で使われている文章の前後を見て,活用できるか判断します.動詞というのがポイントです.動詞はたくさん覚えておいたほうがいいですね.
単語の意味を調べるときには えいじろう を使っています.これは文章も出てくるのでホント優秀です.Evernoteではなく,えいじろう の例文の単語を変更し,そのまま書くこともよくあります.
3) 継ぎ接ぎする
書きたい文はおおよそ1-3文型のどれかにして,あとは関係代名詞とかをつけて修飾しておけばいいですね.4-5文型はあまり使われないのではないでしょうか.あと日本語英語っぽくなるので接続詞はあまりつけません.その他,時制,冠詞などは英文校正にお任せするので,あまり考えません(笑).
翻訳ソフトは 翻訳ピカイチ 2013 for Mac アカデミック版 を使っています.
安いですがイマイチです(笑).
翻訳ソフトに日本語を入れて訳させるのはダメです.それよりは前述の通り,論文から引っ張ってきて,単語や形容詞を変えるほうがいいです.僕は翻訳ソフトに英語を入れて日本語になるかどうか見ます.
以上... かなりまとまりのない文章になってしまって申し訳ございません.自分なりの英語論文作成の方法論がもう少し安定してきたら改めて書こうと思います.
一応以下の本が参考になりましたので,さらに詳しく知りたい方はどうぞ...
インターネット時代の英語医学論文作成術―プロが使っている究極のワザ
もちろん例文が乗っていたりと特効薬的なものではありません.読んだからといってすぐ書けるようになるものでもないです(笑).でもいくつか買ったなかでは,これがいいですね.特にアブストラクトの書き方が詳しく載っています.
あ,そうそう.論文自体どうやって書くの?という方には,これがいいかもです.ヘルプシートが付いているので,それを埋めていくだけで論文ができるみたいな.たしかに初めて英語論文を書いたときには,このシートを使いました.あとタイトルの例がいくつかあるので使えますね.
理科系のためのかならず書ける英語論文―論文作成用ヘルプ・シート付き
では,最後まで読んで下さりありがとうございました.
2013年3月14日木曜日
オススメの本 [人間関係をしなやかにするたったひとつのルール]
子どもに「ゴミ捨ててきて」といっても聞かないので,家族でじゃんけんしました.tomori です.子どもは親の言うとおりになりません.なんでか?自分がそうだったから(笑)でも親になって初めて分かる責任,期待... 意外に僕もそんなことに毎日悩んでいます.マジ話.
そんな時,よく見ているブログ,No Second lifeの立花さんがおすすめしていた本を読みました.今日は本の紹介です.
人間関係をしなやかにするたったひとつのルール 渡辺奈都子さん
「私は自分だけをコントロールできる」
最初に言いますが,僕はこういう類いの本が好きではありませんし,これまで読んだこともありません.なぜなら,僕は人間関係であまり悩んだこともなく,「過去と他人は変わらない」というモットーがあるからです.ただ立花さんの書評を見てたら,この本で紹介されている選択理論では「私は自分だけをコントロールできる」ということを中心に書かれているようだったので,僕の信条にあった人間関係の本かなと思って手に取りました.で,とても分かりやすく,ふむふむと1日で読み進めることができました.
ほめるのは相手を操作するためではない p81
しつけや体罰は良いだの悪いだの,褒めてやらねば人は動かじだの,相手に対する働きかけを色々と議論されますが,それは働きかけの方法の問題というより,その人の背後にある操作的な意図(期待でも良い)がどの程度あるのかが問題だと思います.その意図が大きければ大きいほど,相手に変わってほしい!と思うもので,人間関係のズレはそこから始まってしまいます.期待は大きすぎてもダメなんですよね.基本ほめることは良いと思っていますが,ほめるとかしかるとかじゃなくって,その背後にある操作的態度が大事なんだなと思いました.
結局自分が我慢するしかない...のか? p83
「過去と他人は変わらない」というモットーだと,じゃずっと自分が我慢すればいいのか,というジレンマに陥ります.これは僕の中でも明確な解がありませんでした.でも,この本で紹介されていたカウンセラーからのおすそわけ というブログ記事を引用しながらがら,我慢と忍耐の違いについて説明を見て,なんとなく分かったような気がします.
-----
我慢と忍耐・・・、
この2つはどのように違うのでしょう。
我慢は、「我」と「慢」の二文字から出来ています。
「我」は「われ」という意味、
「慢」は、「おこたる」という意味です。
「我慢」の二文字を合わせると
「われ、おこたる」という意味になります。
つまり、「我慢」は自分の願いを怠るという解釈ができます。
忍耐は、「忍」と「耐」の二文字から出来ています。
「忍」は、「みとめる」という意味、
「耐」は、「たえる」という意味です。
「忍耐」の二文字を合わせると
「たえるをみとめる」という意味になります。
つまり、やがて得る目標のために
試練に耐えることを認めるという解釈ができます。
選択理論では、誰でも自分の欲求を
自分で満たす責任があることを教えています。
責任とは、他人の欲求充足を邪魔せずに自分の欲求を満たすことです。
我慢は、自分の欲求充足を怠る行動です。
我慢を続けても、得たいものは得られないでしょう。
我慢を続けても、決して幸せになることはないのです。
一方、忍耐は目標をあきらめない強い心の現れです。
忍耐は、あなたを目標へと近付けます。
忍耐は、品性を生み出し希望を与えるでしょう。
我慢と忍耐を区別しましょう。
そして、我慢ではなく忍耐を積極的に受け入れましょう。
--------
確かに僕の周りにいるステキな人は,我慢というより忍耐を選んでいるように思えます.忍耐を重ねることで,自分の目標がより明確になることもありますね.
操作できる前輪・直接操作できない後輪 p102
選択理論では,ヒトの行動(全行動)を「車」に例えています.その車の前輪は,思考(頭の中で考えること)と行為(見て分かること),後輪は感情(気分や気持ち)と生理反応(身体反応)になるそうです.通常,車は前輪をハンドルで操作することで車の方向性が決まります.後輪はただ回転するだけです.ヒトの行動に例えると,後輪の怒りや悲しみなどの感情,それに伴う生理反応はコントロールできません.誰でも文句を言われるとイラッとして,心拍数が上がります.しかし,そこで「文句を言い返えすという行動」を取る人もいれば,なぜ文句を言ったのかを理解しようと「話しを聞くという行動」を取る人もいます.人の行動は,前輪の思考と行為によってコントロールできる,というのが選択理論の主張するところです.これはリハビリテーションにも応用できますよね.生理反応はコントロールが難しいけども行動,つまり作業はコントールできる.そこに介入する.
他にもオススメポイントは多々ありますが,Macのバッテリーが切れそうなので,この辺で終わります.
ちなみに娘はじゃんけんで負けたのに,ゴミを捨ててくれません.
ブログも書いたので僕が捨ててくるか...
そんな時,よく見ているブログ,No Second lifeの立花さんがおすすめしていた本を読みました.今日は本の紹介です.
人間関係をしなやかにするたったひとつのルール 渡辺奈都子さん
「私は自分だけをコントロールできる」
最初に言いますが,僕はこういう類いの本が好きではありませんし,これまで読んだこともありません.なぜなら,僕は人間関係であまり悩んだこともなく,「過去と他人は変わらない」というモットーがあるからです.ただ立花さんの書評を見てたら,この本で紹介されている選択理論では「私は自分だけをコントロールできる」ということを中心に書かれているようだったので,僕の信条にあった人間関係の本かなと思って手に取りました.で,とても分かりやすく,ふむふむと1日で読み進めることができました.
ほめるのは相手を操作するためではない p81
しつけや体罰は良いだの悪いだの,褒めてやらねば人は動かじだの,相手に対する働きかけを色々と議論されますが,それは働きかけの方法の問題というより,その人の背後にある操作的な意図(期待でも良い)がどの程度あるのかが問題だと思います.その意図が大きければ大きいほど,相手に変わってほしい!と思うもので,人間関係のズレはそこから始まってしまいます.期待は大きすぎてもダメなんですよね.基本ほめることは良いと思っていますが,ほめるとかしかるとかじゃなくって,その背後にある操作的態度が大事なんだなと思いました.
結局自分が我慢するしかない...のか? p83
「過去と他人は変わらない」というモットーだと,じゃずっと自分が我慢すればいいのか,というジレンマに陥ります.これは僕の中でも明確な解がありませんでした.でも,この本で紹介されていたカウンセラーからのおすそわけ というブログ記事を引用しながらがら,我慢と忍耐の違いについて説明を見て,なんとなく分かったような気がします.
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我慢と忍耐・・・、
この2つはどのように違うのでしょう。
我慢は、「我」と「慢」の二文字から出来ています。
「我」は「われ」という意味、
「慢」は、「おこたる」という意味です。
「我慢」の二文字を合わせると
「われ、おこたる」という意味になります。
つまり、「我慢」は自分の願いを怠るという解釈ができます。
忍耐は、「忍」と「耐」の二文字から出来ています。
「忍」は、「みとめる」という意味、
「耐」は、「たえる」という意味です。
「忍耐」の二文字を合わせると
「たえるをみとめる」という意味になります。
つまり、やがて得る目標のために
試練に耐えることを認めるという解釈ができます。
選択理論では、誰でも自分の欲求を
自分で満たす責任があることを教えています。
責任とは、他人の欲求充足を邪魔せずに自分の欲求を満たすことです。
我慢は、自分の欲求充足を怠る行動です。
我慢を続けても、得たいものは得られないでしょう。
我慢を続けても、決して幸せになることはないのです。
一方、忍耐は目標をあきらめない強い心の現れです。
忍耐は、あなたを目標へと近付けます。
忍耐は、品性を生み出し希望を与えるでしょう。
我慢と忍耐を区別しましょう。
そして、我慢ではなく忍耐を積極的に受け入れましょう。
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確かに僕の周りにいるステキな人は,我慢というより忍耐を選んでいるように思えます.忍耐を重ねることで,自分の目標がより明確になることもありますね.
操作できる前輪・直接操作できない後輪 p102
選択理論では,ヒトの行動(全行動)を「車」に例えています.その車の前輪は,思考(頭の中で考えること)と行為(見て分かること),後輪は感情(気分や気持ち)と生理反応(身体反応)になるそうです.通常,車は前輪をハンドルで操作することで車の方向性が決まります.後輪はただ回転するだけです.ヒトの行動に例えると,後輪の怒りや悲しみなどの感情,それに伴う生理反応はコントロールできません.誰でも文句を言われるとイラッとして,心拍数が上がります.しかし,そこで「文句を言い返えすという行動」を取る人もいれば,なぜ文句を言ったのかを理解しようと「話しを聞くという行動」を取る人もいます.人の行動は,前輪の思考と行為によってコントロールできる,というのが選択理論の主張するところです.これはリハビリテーションにも応用できますよね.生理反応はコントロールが難しいけども行動,つまり作業はコントールできる.そこに介入する.
他にもオススメポイントは多々ありますが,Macのバッテリーが切れそうなので,この辺で終わります.
ちなみに娘はじゃんけんで負けたのに,ゴミを捨ててくれません.
ブログも書いたので僕が捨ててくるか...
2013年3月10日日曜日
卒業式…
謝恩会は恒例ジーパン参加。tomoriです。とことん飲むぞという意気込みの表れです。
今日は卒業式でした。毎年必ずある事ながら、毎年どこさ新鮮さを感じます。うちの専攻では卒業生一人ひとりに少しだけスピーチの時間があります。そこで親、仲間、教員とかへの感謝の言葉があるわけなんですが、それがまぁ泣いたり、笑ったり、一人ひとりに個性があって、毎年楽しみな時間です。あと担任だったけど留年してしまった学生も送り出せて、やっと担任終了です。
毎年卒業生に言うのですが、自分の人生を悔いがないように精一杯生きてくれることが、僕への何よりの感謝なんですよね。直接的なお礼とか、プレゼントとかよりも。
いつかすげーことやってくれたり、クライエントから感謝されてたり、そんなことを妄想しながら、ミスチルの「彩り」のように、毎日単純作業を繰り返したいなと思います。
ご卒業おめでとうございます。
今日は卒業式でした。毎年必ずある事ながら、毎年どこさ新鮮さを感じます。うちの専攻では卒業生一人ひとりに少しだけスピーチの時間があります。そこで親、仲間、教員とかへの感謝の言葉があるわけなんですが、それがまぁ泣いたり、笑ったり、一人ひとりに個性があって、毎年楽しみな時間です。あと担任だったけど留年してしまった学生も送り出せて、やっと担任終了です。
毎年卒業生に言うのですが、自分の人生を悔いがないように精一杯生きてくれることが、僕への何よりの感謝なんですよね。直接的なお礼とか、プレゼントとかよりも。
いつかすげーことやってくれたり、クライエントから感謝されてたり、そんなことを妄想しながら、ミスチルの「彩り」のように、毎日単純作業を繰り返したいなと思います。
ご卒業おめでとうございます。
2013年3月9日土曜日
OTの教員になるために準備すること
人生の目標選択のアプリを作っているのに,自分の人生人任せのtomoriです.高校の時は英語の先生から浪人しろと言われたので浪人を.親戚にアンタはOT向きだなと言われOTを.「tomori,お前の就職先決まったぞ~」とOTの教員に言われ就職を.神奈川で公募があるけどと言われ教員に.今まで川の流れのように生きてきました.そんな僕が作ったADOC。どうかよろしくお願いします(笑)
さて,最近OTの教員に興味があるという相談をよく受けるので,参考にならないとは思いますが僕がどうやってパーカー先生になったのか少しだけ書いてみようと思います.んで,OT教員について僕なりの考えを書こうと思います.
---------
僕は沖縄の専門学校を出ました.就職シーズン,とにかく県外で勉強ができる職場を!と先生にお願いして,自分から問合せや見学などは一切しませんでした.そして上記の通り,先生が勧めるままに長崎の病院へ就職.そして長崎大学の沖田研究室を紹介していただきました.沖田研では当時PTOTは少なかった動物実験を行っていました.
僕は研究とか全く分からず,ていうかそれ以上に要領が悪く,実験すればいつも失敗.本当に本当に本当にいつも怒られていました.なにか文章を書いて先生に見てもらえば,ゼロから書き直しと言われ,最後には僕の文章は何も残らない.謙虚でも謙遜でもありません.事実です.
毎週水曜は大学日.オンシーズン,つまり実験,抄録提出前,発表前には毎日仕事が終わると大学へ直行.左手にはミッション車(ジムニー君)のギア,右手にはおにぎりを持って運転していました(笑).こんな車です↓ 大学から0〜2時ごろに帰宅,翌日早出,みたいな生活でした.周りが行ってたので何もわからず放送大学で学士を取りました.通称 ねずみっ子クラブ と呼ばれていた,厳しくも愛情あふれる研究室でした.
1年のうちに少しオフシーズンがあり,その時には病院で臨床研究とかしてました.当時は回復期リハ病棟が盛り上がり,訓練室から病棟に上がるぞ〜というという時期でした.僕は病棟でADL訓練をよくしてました.あと退院後の生活に興味があったので,平日休みを使って担当患者さんの訪問調査などをしていました.OTのボス,病院の先輩方に相談しながら、事例報告や実践報告などをまとめました.
4年目に助手にエントリーしました.その時論文が共著で5本,学会発表が20くらいだったと思います。修士は持ってなくて,M1でした.面接では何を聞かれたか覚えてないです.研究のこと,修士のこと,大学に入って何をしたいか,だったかなぁ.語尾が小さいと面接後に課長に注意されたのは覚えています.すみません,今も直ってません(笑)
そして免許をとって5年目に助手に着任しました...
------------
そう.僕はダメダメ人間でした(です).僕が教員になれたのは,沖田先生,OTのボス,研究室の皆様,そして病院の先輩方が,最低最悪な僕を見捨てずに指導してくださったおかげです.本当に本当に感謝しています.僕のようなダメダメ人間がなれるので,しっかり教育していただければたいがいの人が教員になれると言いたいのですが,僕のような幸運に恵まれる人はそういないと思います.また時代もあります。もはや修士、博士は当たり前になってきました。それを持ってるだけでは、熾烈なサバイバルには生き残れないでしょう。
結論,教員になりたい人が自分で頑張ることが必要です.特に教員になった後に競争に生き抜くことを想定しておくことが必要です.
でも、とりあえず大学の助教レベルを想定して,教員になるために何にどう頑張るのか、何に気をつければいいか、個人的な意見ですが、書いてみます。
1) 論文を書くこと
よく驚かれますが,OTの教員になるには私立だろうが公立だろうが筆記試験とかありません.一般的に公募で,書類(業績)審査+面接(時にプレゼン)のみで決まります.審査は、欠員がある授業科目を担当できるかどうか,そして論文(査読付き)をいくつ書いているかメインです.といっても授業を担当できるかどうかも論文を持っているか審査されるので,基本的に論文を書いていることが求められます.今は論文の数で評価されますが,今後は質です.つまり英語論文の数で審査されるでしょう.現に医学部がくっついてる国立系なんかは、和文を何本もっていようが,教科書をいくつ書いていようがさほど関係なく,英語論文何本書いているかが大きなポイントになってるようです。
2) 学位を取ること
免許のようなものなので、必要です。僕も頑張って取りました…金もかかります。ただ投資なので、後で回収できると信じています(笑)ただ学位はあくまで免許です。ペーパードライバーにならないようにしなければいけません。
3) 人間関係に強くなる
基本業績ですが、しょせん総勢6万人くらいの狭い狭い世間です。ネットワークを作ることで、僕のようにチャンスが生まれることは間違いないです。逆に言えば業績は一流でもネットワークが無いために声がかからないということも想定されます。
また教員は個性が強いです。また実習施設で学生が問題起こすこともあるわけで…その中でうまくやっていくには臨床以上の対人能力が必要です。
4) 何処でも行く覚悟
空きがないとそのポストにはつけません。つまり誰かが辞め、その後に応募するか、新設校に応募するか、というのが基本的な考えです。空いたらとりあえずどこでも行く覚悟が必要です。そのために家族に迷惑をかけてしまうこともしばしばあるでしょう… その覚悟は必要かもしれません。
5) 教育力をつける
まぁ教員なので当然なんですが、臨床でいえば毎日講演してるようなものですので、準備とか普通に大変です(笑)学生はつまらなかったらすぐ寝ます(笑)興味を持続させるにはそれなりの工夫が必要です。ただ教育法とか習ってないので、独学で身につけなければいけません。その辺わりと大変です。
6)臨床力をつける
これは個人的な意見ですが、臨床のようにオールマイティな臨床力でなくていいと思ってます。ある部分にスペシャルな臨床力を持つことだと思ってます。あと臨床って日進月歩です。新しいこと教えたとしても、五年後使えなくなってます。そうなると、自分が研究してる最先端の部分に特化した臨床力、あとは普遍的な部分があれば良いのかなと思います。
全くないのは長い目でみると大変です。最近は学部からすぐ大学院に進学してそのまま教員になったりする方も多いですが、臨床力は必要ですね。
と、気ままに書いてみました。あくまで個人的な意見ですので、参考にする際にはご注意を…
さて,最近OTの教員に興味があるという相談をよく受けるので,参考にならないとは思いますが僕がどうやってパーカー先生になったのか少しだけ書いてみようと思います.んで,OT教員について僕なりの考えを書こうと思います.
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僕は沖縄の専門学校を出ました.就職シーズン,とにかく県外で勉強ができる職場を!と先生にお願いして,自分から問合せや見学などは一切しませんでした.そして上記の通り,先生が勧めるままに長崎の病院へ就職.そして長崎大学の沖田研究室を紹介していただきました.沖田研では当時PTOTは少なかった動物実験を行っていました.
僕は研究とか全く分からず,ていうかそれ以上に要領が悪く,実験すればいつも失敗.本当に本当に本当にいつも怒られていました.なにか文章を書いて先生に見てもらえば,ゼロから書き直しと言われ,最後には僕の文章は何も残らない.謙虚でも謙遜でもありません.事実です.
毎週水曜は大学日.オンシーズン,つまり実験,抄録提出前,発表前には毎日仕事が終わると大学へ直行.左手にはミッション車(ジムニー君)のギア,右手にはおにぎりを持って運転していました(笑).こんな車です↓ 大学から0〜2時ごろに帰宅,翌日早出,みたいな生活でした.周りが行ってたので何もわからず放送大学で学士を取りました.通称 ねずみっ子クラブ と呼ばれていた,厳しくも愛情あふれる研究室でした.
1年のうちに少しオフシーズンがあり,その時には病院で臨床研究とかしてました.当時は回復期リハ病棟が盛り上がり,訓練室から病棟に上がるぞ〜というという時期でした.僕は病棟でADL訓練をよくしてました.あと退院後の生活に興味があったので,平日休みを使って担当患者さんの訪問調査などをしていました.OTのボス,病院の先輩方に相談しながら、事例報告や実践報告などをまとめました.
4年目に助手にエントリーしました.その時論文が共著で5本,学会発表が20くらいだったと思います。修士は持ってなくて,M1でした.面接では何を聞かれたか覚えてないです.研究のこと,修士のこと,大学に入って何をしたいか,だったかなぁ.語尾が小さいと面接後に課長に注意されたのは覚えています.すみません,今も直ってません(笑)
そして免許をとって5年目に助手に着任しました...
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そう.僕はダメダメ人間でした(です).僕が教員になれたのは,沖田先生,OTのボス,研究室の皆様,そして病院の先輩方が,最低最悪な僕を見捨てずに指導してくださったおかげです.本当に本当に感謝しています.僕のようなダメダメ人間がなれるので,しっかり教育していただければたいがいの人が教員になれると言いたいのですが,僕のような幸運に恵まれる人はそういないと思います.また時代もあります。もはや修士、博士は当たり前になってきました。それを持ってるだけでは、熾烈なサバイバルには生き残れないでしょう。
結論,教員になりたい人が自分で頑張ることが必要です.特に教員になった後に競争に生き抜くことを想定しておくことが必要です.
でも、とりあえず大学の助教レベルを想定して,教員になるために何にどう頑張るのか、何に気をつければいいか、個人的な意見ですが、書いてみます。
1) 論文を書くこと
よく驚かれますが,OTの教員になるには私立だろうが公立だろうが筆記試験とかありません.一般的に公募で,書類(業績)審査+面接(時にプレゼン)のみで決まります.審査は、欠員がある授業科目を担当できるかどうか,そして論文(査読付き)をいくつ書いているかメインです.といっても授業を担当できるかどうかも論文を持っているか審査されるので,基本的に論文を書いていることが求められます.今は論文の数で評価されますが,今後は質です.つまり英語論文の数で審査されるでしょう.現に医学部がくっついてる国立系なんかは、和文を何本もっていようが,教科書をいくつ書いていようがさほど関係なく,英語論文何本書いているかが大きなポイントになってるようです。
2) 学位を取ること
免許のようなものなので、必要です。僕も頑張って取りました…金もかかります。ただ投資なので、後で回収できると信じています(笑)ただ学位はあくまで免許です。ペーパードライバーにならないようにしなければいけません。
3) 人間関係に強くなる
基本業績ですが、しょせん総勢6万人くらいの狭い狭い世間です。ネットワークを作ることで、僕のようにチャンスが生まれることは間違いないです。逆に言えば業績は一流でもネットワークが無いために声がかからないということも想定されます。
また教員は個性が強いです。また実習施設で学生が問題起こすこともあるわけで…その中でうまくやっていくには臨床以上の対人能力が必要です。
4) 何処でも行く覚悟
空きがないとそのポストにはつけません。つまり誰かが辞め、その後に応募するか、新設校に応募するか、というのが基本的な考えです。空いたらとりあえずどこでも行く覚悟が必要です。そのために家族に迷惑をかけてしまうこともしばしばあるでしょう… その覚悟は必要かもしれません。
5) 教育力をつける
まぁ教員なので当然なんですが、臨床でいえば毎日講演してるようなものですので、準備とか普通に大変です(笑)学生はつまらなかったらすぐ寝ます(笑)興味を持続させるにはそれなりの工夫が必要です。ただ教育法とか習ってないので、独学で身につけなければいけません。その辺わりと大変です。
6)臨床力をつける
これは個人的な意見ですが、臨床のようにオールマイティな臨床力でなくていいと思ってます。ある部分にスペシャルな臨床力を持つことだと思ってます。あと臨床って日進月歩です。新しいこと教えたとしても、五年後使えなくなってます。そうなると、自分が研究してる最先端の部分に特化した臨床力、あとは普遍的な部分があれば良いのかなと思います。
全くないのは長い目でみると大変です。最近は学部からすぐ大学院に進学してそのまま教員になったりする方も多いですが、臨床力は必要ですね。
と、気ままに書いてみました。あくまで個人的な意見ですので、参考にする際にはご注意を…
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