▼
さて,第3回 学術大会の二日目です.朝からボスの長谷先生と久々にお話させていただいて,とても懐かしく思いました.長谷先生は作業療法の師でもあり,人生の師でもあります.なぜか長谷先生の周りには僕みたいな人がさくさん集まります.教授,先生,師というのはこうあるべきだなとも思います.てか,初日の鈴木さんのスライド覚えていますかね.僕もよく使わせていただくのですが,この対談をしてくださったのが長谷先生です.学生の時に初めて読んで,脳天をかち割られました.
この論文を読んでCOPMを知り,次に勉強させていただいたのが吉川ひろみ先生です.吉川先生も今回来てくださいました.初めてお会いしたのが長崎で行われた研修会で,吉川先生が来ると知った瞬間に,「迎えに行かせてください!」と言っていました(笑) そういえば長谷先生もほぼ同じ感じで迎えに行きました(笑) 僕は長崎に行ってホント幸運でしたね.
さて,吉川先生はDoingの重要性を講演の中で問うていました.吉川先生は覚えていないと思うのですが,僕とのメールのやり取りで,「これからあなたがどういう行動をするかで,あなたを判断したいと思います」という言葉をくださいました.昔から首尾一貫してDoingを重視しています.それを理解しているかしていないかで,あの講演の貴重さが分かるのかなぁと思いながら講演を拝聴してました.真剣なことを笑って話せることほど,偉大なことはないんです.
このように,僕の作業療法人生に大きな影響を下さった先生がたをお招きし,第3回大会を過ごせたことは僕にとって個人的にとても幸せでした.
▼
一方で,竹林さんから,こういうエピソードを聞きました.
昨日まで、開かれていた日本臨床作業療法学会にて、後ろに座っていた2年目の女性の作業療法士さんに、「ひとつ、教えて下さい」声をかけられました。彼女がえらく、憤慨した表情で僕に詰め寄ります。(エロすぎて中略w) 「昨日から、たくさんの演題や特別講演を聞いていて、皆んなが「作業療法の危機だ」とか、「作業療法を広めたい」と口々にいってる。なのに、発表では「私は◯◯だと思う。」とか「クライエントはこうコメントした」とか、物語みたいに自分の主観だけで話したり、誰も知らないような作業療法の評価を作って説明したりとか、矛盾してると思うのです。」と。
竹林さんは以下の通り答えたようです.
いや、10年前の自分を見ているようでした。熱く、そして、真摯なその瞳に昔の自分を重ねました。そこで、失望し、色々なところを巡って、最近、また帰ってきた自分には、この娘の気持ちは痛いほどにわかりました。「それはね、単純に作業療法の中の学問の高さが違うんだよ。」とお話を始めました。今の僕にとって、「作業療法士が哲学的に考え、作業療法を深める研究」も、「一人の患者に人として、向き合い、情動を惹起させる症例報告」も、「作業療法の効果を疫学的に他職種および世間にしらす研究」のどれもが素晴らしい研究だと思っています。ただ、どの分野でも、研究の「質」は問われますよ。そこに、届いていないのは、論外です。でも、そのバリエーションはあっても良いものなのです。それを、専門的な位置集団だけで、盛り上がって、他と共有しないことが問題なのです。
▼
皆さんはこのやり取りを読んでどう思いますか??
僕は,その彼女がわざわざ竹林さんに聞いた勇気と,竹林さんの思慮深い返答を,僕は日本臨床作業療法学会の学術部長として重くうけとめなければいけない,と深く反省しました.作業療法士として,それぞれ持ち場と役割があります.それを一人ひとりが全うしなくちゃいけないんです.そう考えると,現場が頑張っていることは第1回からよく理解できます.でもエビデンスを創る持ち場にいる人がその役割を果たしていないのかも.いや「かも」じゃなく,してないですよね.
僕のこれからも進むべき道をよく考えさせれられる2日間でした.
藤本大会長,本当にありがとうございました.運営の皆様,ありがとうございました.本当に,いろいろなことがいろいろな苦労や思いの積み重ねで今があるんです.参加された方,感謝の気持ちは言葉ではなく日々の実践で示しましょう.
最後まで読んでくださり,ありがとうございました.
この論文を読んでCOPMを知り,次に勉強させていただいたのが吉川ひろみ先生です.吉川先生も今回来てくださいました.初めてお会いしたのが長崎で行われた研修会で,吉川先生が来ると知った瞬間に,「迎えに行かせてください!」と言っていました(笑) そういえば長谷先生もほぼ同じ感じで迎えに行きました(笑) 僕は長崎に行ってホント幸運でしたね.
さて,吉川先生はDoingの重要性を講演の中で問うていました.吉川先生は覚えていないと思うのですが,僕とのメールのやり取りで,「これからあなたがどういう行動をするかで,あなたを判断したいと思います」という言葉をくださいました.昔から首尾一貫してDoingを重視しています.それを理解しているかしていないかで,あの講演の貴重さが分かるのかなぁと思いながら講演を拝聴してました.真剣なことを笑って話せることほど,偉大なことはないんです.
このように,僕の作業療法人生に大きな影響を下さった先生がたをお招きし,第3回大会を過ごせたことは僕にとって個人的にとても幸せでした.
▼
一方で,竹林さんから,こういうエピソードを聞きました.
昨日まで、開かれていた日本臨床作業療法学会にて、後ろに座っていた2年目の女性の作業療法士さんに、「ひとつ、教えて下さい」声をかけられました。彼女がえらく、憤慨した表情で僕に詰め寄ります。(エロすぎて中略w) 「昨日から、たくさんの演題や特別講演を聞いていて、皆んなが「作業療法の危機だ」とか、「作業療法を広めたい」と口々にいってる。なのに、発表では「私は◯◯だと思う。」とか「クライエントはこうコメントした」とか、物語みたいに自分の主観だけで話したり、誰も知らないような作業療法の評価を作って説明したりとか、矛盾してると思うのです。」と。
竹林さんは以下の通り答えたようです.
いや、10年前の自分を見ているようでした。熱く、そして、真摯なその瞳に昔の自分を重ねました。そこで、失望し、色々なところを巡って、最近、また帰ってきた自分には、この娘の気持ちは痛いほどにわかりました。「それはね、単純に作業療法の中の学問の高さが違うんだよ。」とお話を始めました。今の僕にとって、「作業療法士が哲学的に考え、作業療法を深める研究」も、「一人の患者に人として、向き合い、情動を惹起させる症例報告」も、「作業療法の効果を疫学的に他職種および世間にしらす研究」のどれもが素晴らしい研究だと思っています。ただ、どの分野でも、研究の「質」は問われますよ。そこに、届いていないのは、論外です。でも、そのバリエーションはあっても良いものなのです。それを、専門的な位置集団だけで、盛り上がって、他と共有しないことが問題なのです。
▼
皆さんはこのやり取りを読んでどう思いますか??
僕は,その彼女がわざわざ竹林さんに聞いた勇気と,竹林さんの思慮深い返答を,僕は日本臨床作業療法学会の学術部長として重くうけとめなければいけない,と深く反省しました.作業療法士として,それぞれ持ち場と役割があります.それを一人ひとりが全うしなくちゃいけないんです.そう考えると,現場が頑張っていることは第1回からよく理解できます.でもエビデンスを創る持ち場にいる人がその役割を果たしていないのかも.いや「かも」じゃなく,してないですよね.
僕のこれからも進むべき道をよく考えさせれられる2日間でした.
藤本大会長,本当にありがとうございました.運営の皆様,ありがとうございました.本当に,いろいろなことがいろいろな苦労や思いの積み重ねで今があるんです.参加された方,感謝の気持ちは言葉ではなく日々の実践で示しましょう.
最後まで読んでくださり,ありがとうございました.
0 件のコメント:
コメントを投稿