インドア派なんだけど、なぜがBBQにはうるさいtomoriです.
情熱の国スペインの伝統料理,パエリアを作った。パエリアにサフランが欠かせないとケンタロウが言っていたので調べてみると,0.4gで500円という値段.なおかつWikiでは「大量摂取は危険と言われており、5g以上摂取すると重篤な副作用が出る。致死量は12~20gである」という記載.困難があればあるほど乗り越えたくなる男の血がふつふつと燃えてくるぜ、といいつつ、当日は米を忘れてしまった…
ビバ! パエリア!
さてさて,当ブログでは作業に焦点を当てた実践 Occupation based practice OBP についてちょくちょく書いている。ただ、ちゃんとした定義が無いので、僕もそうだけど皆自分の中で解釈していているのが現状。そのため、意見の食い違いがたまにある。
特に機能訓練をするかどうか、実動作を通した支援かどうか、については色々と意見が分かれるようである。
そこで僕は 作業ができることに焦点を当てなければいいのに と思う.
やっぱお前はAB型だな,と突っ込みたくなる人もいるだろうが,そんな哲学チックでやや難解な話を,先日,湘南OT勉強会でメガネさんはいとも簡単に,いつもの自虐ネタで斬り込んでくれた.
メガネさんの自己紹介で,趣味は,ギター,ドラム,カクテル作り と書いてあった.なんか僕と同じ匂いがすると思って一人でウケてたんだけど,そしたらメガネさんは「この趣味から何が分かるか? それがOTには大事だと」と問いかけていた.
そう,この趣味から読み取れるのは,女子にモテたい願望(笑)
メガネさんは,
「とにかく女の子に持てるならば作業は何でもいい,別にギターでなくてもカクテルでなくても何でもいいんだ」
と,文面だけ見ればやや下品だが,OTにはエレガントにも聞こえる言葉で、こう言い放った.
そう,僕のイメージするOBPってこんな感じ.単に作業が出来るようになることが目的ではなく、CLの想いを実現することがOBPの真の目的.想いって,かっこ良く言えばスピリチュアリティとか,横文字だとかっこいいけど和訳すると途端にダサく聞こえる言葉(ADOCの日本語訳みたいに).なので今日はCLの想いということにする.
想いって目に見えない曖昧なもの.この曖昧なものを見えるようにしたり,実現したりするのが作業療法の役割ではないだろうか.「作業」という現実的な事象を通して...
繰り返すと,「作業」というのは,CLの想いを見えるようにするという目的のための手段であり,想いを実現するという目的のための手段である.
こう考えると,作業とCLの想いはリンクしていて,CLの想いが詰まっているものが作業で、想いが詰まって無ければ活動あるいは動作.
OBPは「機能訓練以外」の手工芸とか趣味とかに取り組むことだと思っている方も少なからずいると思う.でも個人的にOBPで大事なことは「何をするか」の見える部分ではなくて,「何のためにするか」の見えない部分にあると思う.よってCLの想いが詰まっていなければ,たとえ何をしたとしても,活動に焦点を当てた実践?(Activity-based practice; ABP?←造語)になってしまう。
何となくやる手工芸やADL訓練より、CLの想いがたくさん詰まっている機能訓練のほうが、ずっと「OBP」に近いと個人的には思う.
OTは傍からからみただけでは分からない.単なる遊びに見えるときもあるし,PTの真似事に見えるときもある.でもそれでいいじゃん.大切なのはCLと共有している見えない部分なんだから.外見にこだわってちゃOBPはできない。
OBPでは「作業」に焦点を当てるのだが,
「何をするか」も大事だけと、その前に「何のために」するかにしっかり当てたほうがいい。
最後まで読んでくださり,ありがとうございました.
2012年5月5日土曜日
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いつもお世話になっています。長野のいちろーです。
返信削除湘南OT交流会、私も参加してとても楽しく感動の一日でした。
澤田さんの講演の内容を院内で伝達したいと思う中で、
「何をするか」よりも「何のために」って、
PTやSTでも同じ部分もあるんじゃないの、と思いながら、
いろいろ調べていると、
「理学療法」(第37巻3号 2010年)の記事に、
「あなたは臨床実践で、どのような理学療法をすればいいのか、と
何のために理学療法をするのか、のどちらを考えることが多いですか?」
という問題提起があって、
「PTも身体的志向と心理社会的志向が大事」とあって、
「歩かされている顔が自らの意志で歩こうとしている顔に
ならなければならない」
とか、いろいろ書かれていました。
セラピストがこういった視点を当たり前のようにもてると、
リハも相当かわるんじゃないかな、とワクワクしたりもします。