2013年5月2日木曜日

tomori lab 文献抄読会(2)  作業療法のこれまでとこれから

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料理男子 ohnoです.今回は,日本の作業療法がどのような変遷を辿って現在に至り,そして今後はどのような方向性で展開すべきかについて,以下の書籍および論文から得られた知見を参考に私見を書かせて頂きたいと思います.

1. 作業療法の歴史を分析する意義

作業療法士であれば誰もが「作業とは?作業療法とは?」という疑問を抱くことがあるであろう.鎌倉は「作業療法とは何かを考えるときには,まずそのルーツを知ることから始めるのが正当だと思う.…(中略)社会変動の大波を受けてあちらに揺れ,こちらに揺れを繰り返してきた作業療法の歴史は,ひとつの職業のありようがどんなに多く時代に影響されるものかを教えてくれた.…(中略)過去から教訓を読みとって現在に生かすというのも,思考の鍛錬のひとつの形だと思う.何かがいまここに存在しているのには,必ずわけがある.」と述べている.歴史を読み解くことは,様々な時代背景の中で作業療法の特性や期待されてきた役割についての認識を深めていくことでもある.今後の日本の作業療法の在り方について考えていくために,先人達がいかにして作業療法に携わってきたかを以下に記していく.


2. 歴史分析

野藤は,Kielhofner & Burkeが用いたパラダイム論に沿って作業療法の歴史的変遷の分析を行っている(図参照).



3. ~1960年代:前パラダイム

 日本における作業療法は,精神科領域,結核患者,肢体不自由児などに対して,医師がそれまでの医療とは少し異なる形で先駆け的に行われていた.精神科医の呉秀三は,それまでの隔離,監置,拘束を一掃して,欧州滞在期間に学んだ作業療法を行った.呉は「作業をよく行えないことが精神の不均衡をきたし,作業をよく行うことが病気を駆逐し,病者の心と体を鍛え,心身のよき循環を生む」と考えていた.彼は,裁縫,洗濯,わら工作などの屋内作業や,土木工事,農業,畜産などの屋外作業,さらには特殊作業として事務補助,医務補助,炊事人補助など,その時代の一般市民が行っていたであろう作業を治療的に用いていた.こられの作業には,補食(おやつ)や賃金などの報酬を伴っていた.
 結核はストレプトマイシンなどによる化学療法が開始されるまで,安静と栄養の他に治療法のない疾患とされていた.医師である野村実は自身の結核闘病体験から,療養早期から作業を開始することを推奨しており,「作業」とは生活に生きる喜びを与え,生命の意味を味わうために必要不可欠なものとしている.また,結核患者に対する作業療法は,その目的が病理的治癒にとどまらず,社会的治癒に置かれていたことが特徴と言えるだろう.そのため,療養者の生活史,価値,興味を重要視され,読書,書道,農耕,園芸などの経済力を取り戻して社会復帰するための収入につながる作業が用いられることもあった.
 また”肢体不自由児療育の父”と呼ばれる高木憲次は,肢体不自由児のための医療,教育,職能の三位一体を理想に掲げ,1942年に整肢療護園を設立した.整肢療護園では,①医療,②教育と生活指導,③生活指導と更生指導,④職能指導,⑤職業指導が段階的に実施された.特に,⑤職業指導を行うことが望ましいと考えられ,その前段階である④職能指導では,職業修得に必要な機能の獲得を目的に,運筆,運針,木工道具の操作などの作業が用いられていた.
 これらの取り組みに共通して言えることは,精神疾患患者,結核患者,肢体不自由児などの慢性疾患患者に対して向けられていた偏見や蔑視に異議を唱え,彼らを機能的に快復させることだけでなく,人として生きていくための力を引き出し,生を楽しむことを教えることを目的とした人道主義的な概念が強く感じられることである.
 


4. 1970年代:還元論パラダイム

 大戦後,作業療法の対象に傷痍軍人などの身体障害者が加わることとなった.そして,欧米のリハビリテーション医学を視察した医師らによって,身体障害リハビリテーションの重要性が日本各地へと伝えられていった.当時のアメリカは,医学モデルによる還元主義的な作業療法が全盛であり,日本の作業療法にも大きな影響を与えた.作業療法士たちの関心の中心は,神経筋促通手技,ボバース法,感覚統合療法などのファシリテーションテクニックにあり,機能障害を解決することで日常生活の再建ができると考えられていた.
 また,1974年,社会保険診療報酬点数表の中に初めて,作業療法士が関与するものが採用され,作業療法が医療の一部であることが法的に認められた.一方,1975年,日本精神神経学会は作業療法の点数化に反対した.以下,総会の決議の全文.

「今日の我が国の精神病院の医療状況は、強制的拘禁状況への傾きが強い。その中で入院患者の人権を擁護することは、緊急の課題として登場している。作業は、入院患者の生活の一部であるとはいえ、上述の現在的状況の許で、これを療法として位置付けることは、この課題とりわけ患者の生活及び労働に関する諸権利の擁護に鋭く対立するものである。この意味において、今回『作業療法』点数化に反対する」.

これは,生活療法全盛であった精神医療全体の異議申し立てと連動しているとの意見もあるが,いずれにせよ生活療法との違いを求められるかたちで,精神科作業療法は他職種から自らの立ち位置を大きく揺さぶられたのは事実である.


5. 1980年代:危機・葛藤

 1980年代は,老人保健法(1982年制定)や精神保健法(1987年制定)などの保健福祉施策の影響を受けて,医療の現場に加えて,保健福祉領域へと作業療法の活動場面が広がっていった.また,高齢社会の到来が作業療法の需要を高め,養成校が徐々に設立された.
 需要が高まっていく一方,作業療法士の中で専門性について葛藤が生まれ始めた.これは,作業療法の対象に脳血管疾患のように完全な機能回復が望み得ない患者が増加したことや,作業療法士が治療的手段として用いる作業の治療的意義を,科学的に他職種に説明できないことなどが要因として挙げられている.
 1986年に開催された第20回日本作業療法学会では,「作業療法・その核を問う」というテーマでシンポジウムが行われている.鎌倉は当時の状況を,「作業療法の世界では,脳卒中患者や脳性麻痺の子どもに対して,理学療法士と同じような徒手的運動療法にたくさんの時間を費やすセラピストが多くみられるようになった.まったく同じとはいわないまでも,運動療法において促すのと同じ運動を”物の移動”という課題に置き換えて行うことが作業療法だと考える者はさらに多くなった.…(中略)約20年の経験を積み重ねて,日本の作業療法士たちも,本当にこのままでよいのか.と自分に問うようになっていた.」と述べている.1970年代,80年代とも作業療法の核は揺さぶられているが,前者は他職種からの批判によるもので,後者は自らの葛藤によるものであることが大きな違いである.

 

6. 1990年代:生活・地域・QOLパラダイム

 1990年代になると,地域リハビリテーションという言葉が生まれ,また一般的にQOL(Quality of Life,生活の質)が問われる時代となってきた.欧米では,1980年後半から1990年代にかけて,A Model of Human Occupation(人間作業モデル),Occupation Science(作業科学),Canadian Model of Occupation Performance(カナダ作業遂行モデル)が発表された.これらの学問をもとに,COPMなどのツールが開発され,海外では「作業」への関心が高まっていた.なかでも,Clarkらは在宅高齢者に対して作業科学をベースにした介入戦略を開発し,大規模なRCTにてその効果を実証しており,現在でも作業療法のランドマーク研究となっている.
 鎌倉は「1990年代は,『医学モデル』から『作業行動学モデル』へという,作業療法モデルの転換がはっきりと口に出されるようになった時代として記憶されると思う」と述べている.しかしこれは海外の作業療法に関して言及したものであると推察される.確かに海外では作業療法士自らが様々な学問を設立し,そして主張をしていくことでパラダイムシフトが起き始めたが,日本の一般的な臨床現場においては,1980年代の延長として医学モデルが優勢であった.


7. 2000年代~:原点回帰

 2000年初頭,従来の国際障害分類(ICIDH)が国際生活機能分類(ICF)と改定されたことにより,障害から健康に焦点が当てられるようになってきた.それに加え,上記の1900年代に海外で開発された学問やツールが日本語に翻訳され,実際の臨床現場において使われるようになった.その一方で,臨床介入ではエビデンス(科学的根拠)が求められるようになり,未だ臨床介入試験が少ない作業療法においては,少しの混乱が見られるようになった.
 また診療報酬制度においては,様々な変化があった.まず2000年には介護保険制度が施行.地域のおける福祉サービスの民営化が始まり,地域で勤務する作業療法士の数も増加した.また医療においても,2002年に診療報酬に初めてメスが入り,単位制が導入された.これにより早期リハ,個別療法(マンツーマン)が重視されるようになった.くわえて,回復期リハ病棟も新設され,訓練室のみならず病棟などの実生活場面での訓練が推奨されるようになった.
 2010年代になると,日本作業療法士協会が「人は作業をすることで元気になれる」をキャッチフレーズに,生活行為向上マネジメントを推奨するようになった.2011年,日本作業療法学会では大会テーマに「意味のある作業の実現」が掲げられ,作業を重視する風潮が少しずつ浸透してきた.



8. 今後の日本型作業療法の展望

  歴史的変遷の中で,作業療法の先人たちが医療という枠組みのなかで,いかに苦心して作業療法を育ててきたかが感じられた.1960年代には,医師がそれまでの医療とは少し違う側面,すなわち人道的な支援に着目する形で作業療法を土台を創り,1966年には作業療法士という国家資格を誕生させた.しかし1970年代に入り,還元論や日本精神神経学会など周囲のあおりを受けるかたちで医療としての立場を強めなければいけなかった.作業療法では,1980年代から今日まで,「作業とは何か?専門性とは何か?」と,もう30年も自分たちの仕事の意義を問い続けている.本来,このような状況下では専門性をより研ぎ澄まし,自他ともに分かりやすくしていく必要があるだろう.しかし現在では(専門作業療法士を見れば分かるように)職域拡大のため専門性が逆に多様化し,ますます自分たちの専門性は何だ?状況に陥っている.
 一方,海外の作業療法では1980年代から作業療法独自の学問やツールを開発し,それを醸成させ,人道主義とは言わないにせよ,再び従来の作業療法が行っていた「作業」に焦点を当て,それが自分たちの専門だとアピールしつつある.日本も2000年あたりから海外で開発された学問やツールが翻訳され,最近では臨床での認知度(使用度は少し別)はかなり広まってきた.しかし医療をベースにした環境下でなかなか実践が困難であるという声もまだまだまだまだ多い...
 そこで,これからどうすれば良いのかという問いが生じるのだが,個人的には病院を出て地域に出るとか,医療ではなく保健福祉にいくとかじゃなく,医療の中に位置づけられている作業療法をポジティブに捉えていくことにあると感じている.現在,日本では作業療法士の6~7割が医療機関に従事している(2010年度作業療法白書,日本作業療法士協会).これは,日本独自の社会保障制度の発展であろう.東も機関誌作業療法(Vol.31 No.2 2012)の巻頭言にて「日本の作業療法の現状を前向きに肯定した上で,諸外国で実践されている作業療法の良い部分を積極的に取り入れた『日本型作業療法』を定義,構築していくことではないだろうか」と提案している.
 課題はあるにせよ,現在日本の社会保障制度は均一性,アクセスの良さ,選択肢の多さなど,バランスの良さで世界一と言われている.日本では医療の中に作業療法が位置づけられていることを嘆くこともあるかもしれないが,視点を変えれば世界一の医療が土台にあるわけで,海外の学問やツールを日本の医療で醸成させ,上手く活かした形で世界へアピールすることも可能であろう.例えば,GOGO計画では地域作業療法が重視されているが,医療資源やマンパワーが未だ乏しい地域のフィールドよりも,医療資源やマンパワーが比較的充実している病院での作業療法を充実させることができれば,地域作業療法への波及効果も大きいと思われる.
 これまで,日本の作業療法は欧米の作業療法,医師や社会制度による大きな影響を受け,揺さぶられ,成長を続けてきた.今後は,医療との調和をはかりつつ,日本独自の作業療法を醸成させていく必要があると思われる.


9. 引用文献

鎌倉矩子; 山根寬; 二木淑子. 作業療法の世界: 作業療法を知りたい・考えたい人のために. 三輪書店, 2004.
野藤弘幸. 日本における作業療法の歴史的分析-身体障害領域を中心に. 作業行動研究, 2003, 7: 6-16.

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