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2012年8月27日月曜日

32年の追跡調査でわかった「幸福な人生の秘訣」

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ぼくは勉強ができない けど毎日楽しく生きてます.tomoriです.

小さいころから,こんなことやってなんの意味があるのかってずっと思ってた勉強.

人生にどのくらいインパクトがあるのか昔から知りたかった.
ひょんとしたことから以下の記事を見つけた.

WIREDからの引用です


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32年の追跡調査でわかった「幸福な人生の秘訣」

ニュージーランドに生まれた子ども約1,000人を対象とした32年間にわたる追跡調査データから、成人後の幸福度の高さにはどういった因子が関係しているのかが明らかになった。「学業成績」よりはるかに重要な要素とは。



7月の『Journal of Happiness Studies』誌に掲載された論文は、子どもが幸福な成人となるプロセスについて研究している。


この研究には、ニュージーランドのおよそ1,000人を対象に、誕生直後から成人期までを追跡調査している『ダニーディン 健康と発達に関する学際研究(Dunedin Multidisciplinary Health and Development Study)』のデータ32年分が用いられた。


この調査では、3年ごとに「親や仲間への愛着」「主観的長所」「社会経済的状態」「クラブやグループ活動への参加」「言語発達」「学業成績」など、およそ思いつく限りの社会心理学的に好ましい要素について評価がなされている。そして32歳時の調査で「幸福度」が評価された(驚くべきことに、発達時のどのような要素が精神病理などのマイナスの結果をもたらすのかという問題については長年研究されてきたにもかかわらず、発達時のどのような要素が幸福などのプラスの結果に結びつくのかを探る研究は、これまで行われていなかった)。


成人してからの幸福度に最も結びついていた要素は、若年期における「社会とのつながり」だった(その方面に詳しい人向けに言っておくと、相関係数は0.62)。これに比べて、「学業成績」は幸福度の予測因子としてはるかに劣っており、相関係数は0.12だった。


この研究では、「社会とのつながり」について、「社会的愛着の質」「組織的なクラブやグループへの参加」「主観的能力または長所」「生活への満足度」の4つの尺度で評価している。


第一に、十代の若者にとって、社会的愛着の大きな部分を占めるのは両親との関係だ。十代のころに両親との関係が良好であるほど、幸福度の高い成人になる可能性は上昇する。また、十代の若者にとって、自分の親を好きであることと同じくらい重要で、なおかつ同じくらい想像しがたいことは、彼らが学校を好きであることだ。


ただし、社会とのつながりや学校を好きであることが重要だからといって、その子どもが「人気者」でないと幸福な大人になれないということはまったくない。花形クォーターバックであることより重要なのは、「何か悩み事があったり、怒りを覚えたときに相談できる相手」を持つことだと、研究チームは述べている。また、所属するクラブはスポーツである必要はない。幸福につながるのは運動への熱心さではなくグループに属することだ。


そしてもうひとつ重要なのは、32歳になったときの幸福度を予測する因子は、10代の若者が客観的事実としてどのような生活を送っているかではなく、その若者自身が自分の生活をどのように評価しているかだという点だ。その若者は、自分の将来について楽観的で、自立していて、おおむね忙しい毎日を送っているだろうか? もし答えがイエスなら、その若者は、西洋社会における若者のステレオタイプを覆す存在であり、かつまた将来、非常に幸福な大人になる可能性が高いということだ。

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原著を読んではいない

外国のデータやし,30年前と今では環境が異なるから,
この結果はそのまま使えないかもしれない.

でも,これだけ差があるならば少なくとも勉強がメインではないやろう

なにより僕自身が一番実感してるし,証明している(笑)

てなると,いろいろと考えさせられる.


まず学習障害,自閉症,脳性麻痺の子どもに対する支援.
学習指導要領がなんなんだ.紙でなくて子どもをみろ.

クラブ活動.勝ち負けから何を学ぶべきなのか考えよう.

あ,大学教員としての教育.人生の先輩として相談相手になろう.

そして自分の子どもへの教育.無条件の愛情を.



でも,僕が好きな言葉.相田みつをさん しあわせはいつもじぶんのこころがきめる



それが分かる子どもになってほしいな.
たとえ勉強ができなくても.


2011年11月8日火曜日

なぜ「してもらう」リハビリから「やりたい」リハビリへ なのか

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コカコーラを朝から飲んでます tomoriです.
カロリーを気にしてzeroにしていたのですが,
学生に「男らしくないよね」と言われました.

さて,株式会社レキサスさんから,
ADOCのWEBサイトがオープンしました!



どうでしょう.
なかなかカッコいいデザインですね.
今後ADOCに関しては,僕が作ったサイトからこちらへ移行していきたいと思います.



この中で僕がこだわったのはコピーです.

「してもらう」リハビリから「やりたい」リハビリへ


当初「させられる」リハビリからということにしていましたが,
侍OTさんからちょっとキツイでしょと「してもらう」を提案していただきました.



あと,レキサスさんに無理言って,Topの目立つ位置にしてもらいました.
それには理由があります.

現在リハは医療に位置づけられており,
患者さんも「してもらう」ものだという認識が強いと思います.

治してもらう,
動かしてもらう,
決めてもらう
歩かせてもらう...


しかしリハというものは,
自分の人生を再構築するためのプロセスで,
自分が大事にしている「やりたい」ことを実現するためのものなんですよね.


「やりたい」ことはホント人によって千差万別.
しかも,患者さんは障害のために,
本来「やりたい」ことを見失っていることが多いです.


事実,患者さんに「やりたいことはなんですか?」と聞いても
うまく答えられないことが多いですよね.
でも「困っていることはなんですか?」と聞くと沢山出てきます.

ADOCではイラストによって,
その忘れかけていた「やりたい」ことを思い出させます.


さらに,
「あ,そうそう,お裁縫って昔好きで良くやってたのよね」
「あの時はね,こんなことがあったのよ...」

と患者さん自ら作業にまつわるエピソードを語ってくれます.
実際にADOC使ってみるとよくわかるのですが,
本当に患者さんが良く話してくれます(これホント)


ADOCでは,何のイラストを選ぶかではなく,
何でこのイラストを選ぶのか,の理由を共有することが大事だと思っています.
それは,患者さん本来自分がやりたかった大事な作業のことを思い出し,
それをすることが自分にとって本当に重要だと再定義するための語りです.


大事な作業が何か,なぜ大事なのか,
患者さんの文脈を共有し,その作業の実現に向けて動き始めると,
患者さんはリハに対して主体的になってきます.
色んな提案をしたり,チャレンジしたり,前向きになったり,明るくなったり...

いつかしら「してもらう」リハから,
「やりたい」リハへと変わっていきます.

Webサイトでも,そのプロセスを紹介しています.



ADOCが「やりたい」リハのきっかけになれば幸いです.


2011年6月19日日曜日

活動分析・環境適応 と ADOC

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今日渾身のお好み焼きが焼けました.tomoriです.
もうOTやめてお好み焼き屋さんでも開こうかと思うくらい美味しかったです.

さて,先日ボバースについての記事を書きました.
今日はそれに関連して活動分析や環境適応について書こうと思います.


実習から帰ってきた学生から必ず聞くのが,
「動作分析ができないと指導者に言われた」.
「もっと動作分析の内容を授業に盛り込んでほしい」などのコメント.

例えばどんな動作の分析なの?と聞くと
寝返りです.起き上がりです.座位姿勢です…

君はPTで実習してきたんかい(笑)とは言いませんよ.
その患者さんはどうやったの? まねしてみて と聞きます.

でも心の中では,その動作分析の前に,
そもそも何の動作を分析するのか,その動作の選択は正しいのか?
と思うことはあります.



活動分析にも同じことが言えるのかなと思います.

僕はこの人・作業・環境モデルが好きです.
その3つが重なるところ,作業遂行こそ作業療法がターゲットにする部分だと思いますし,
この3つの円が同じ大きさというところも好きです.人も作業も環境も同じ配分で見ましょうよと,訴えているような感じが好きです.


この間,順天堂大学のOTの先生方とも話したのですが,
僕の活動分析に対するイメージ図はこうです.

なぜなら,活動分析では,
その活動には通常このような特徴があります.
この活動を一般的に1,2,3の手順で行われます.
これを実現するために症例ではこのような戦略で介入しました.
という説明は良く聞きます.
でもその活動を行う本人にとってどのような意味や価値があって行うことになったのか,
といった説明は少ないように思います.
活動を分析する学問だからそうなんです!と言われればそれまでですが.

人が行う作業を分析しているわけだから「人」は入っているだろう
という意見もあるかもしれません.
でも「人」の身体機能の部分だけ大きいような気がします.
人は 骨と筋の集合体ではない という侍さんの言葉を思い出します.
なぜその活動をするのか,という意味が必要です.


あと,よく勘違いされがちですが,
作業療法は「作業ができるようになること」が目的ではありません.
僕は「CLにとって意味がある作業ができるようになること」でもないと思っています.
僕が考える作業療法の目的は,
CLにとって意味がある作業ができることを通して「CLらしい人生を歩むこと」
だと思っています.
主眼は「CLらしい人生を歩むこと」にあって
「意味がある作業ができること」はそれを達成するための手段である,という考え方です.
だから「活動ができること」が目的にはならないと思います.
だって僕たちでも「着替えができること」や「歯磨きができること」が今年の目標にならないでしょう.
特に真新しいことを言ってるつもりはないのですが…


僕は活動分析を批判しているつもりは毛頭ないです.
活動を分析する能力は作業療法士にとって必要不可欠です.
CLにとって意味のある活動を同定しても,それを分析・解決する能力がなければ意味がありません.
要は,分析する活動が,本人にとって意味のあるものでCLらしい人生を歩むためのものであればいいわけです.

僕たちは,そのためにADOCを開発しました.
特別な理論を必要としなくとも,iPadの直感的な操作によって,
面接の経験が少ない方でもいろいろな作業ニーズを聞き出すことができないかなと思っています.

僕は活動分析や環境適応などよく分かりませんが,
ADOCがお役に立てることもあるかと感じています.

もしご意見やご指摘などあればコメントお願いします.

2011年3月24日木曜日

乳幼児にはミネラルウォーターではなく愛情を

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雪でした.東北の皆さん大丈夫だろうか… tomoriです.


水道水からヨウ素が検出されたので,
乳幼児に飲ませないほうが良いとの報道があったとのこと.

100mシーベルトの摂取でも,たった0.5%の上昇
と言われているガンのリスクがそんなに怖いのか?


自分の子どもは,ミネラルウォーターで健康な体になるように育てるよりも,
多少の困難があっても自信をもって乗り越えていけるように育てたい.
だからミネラルウォーターを確保するよりも,これを機会に何が大事なことか,子どもと考えたい.

ミネラルウォーターを飲ませたそばで,好き嫌いを許し,お菓子ばかり食べさせていないか?
ミネラルウォーターを確保するために東奔西走し,子どもと一緒に遊ぶ時間をないがしろにしてはいないか?
ミネラルウォーターを飲ませるために,将来子どもたちが納めるであろう税金から借金していいか?


うちにも生後2週間の子どもがいる.
そりゃヨウ素は不安ですよ.
親は子どもの健康を何よりも大切に考えるものですから.

でも同じように,東北にも子どもと親はいる.
いくら健康であっても,自分だけ助かればいい,と考える子どもにはなって欲しくない.


これからエネルギーは枯渇していくだろう.石油,水,食料,いろいろある。
そんな未来が待っているのに,今,ミネラルウォーターを買い占める背中を子どもに見せたくない.


もちろん僕一人の節約で,東北の乳幼児にミネラルウォーターが行き渡るわけではない.
そんな物資の話をしたいわけではない.


今僕にできること

子どもにはミネラルウォーターではなく愛情をあげること。





最近,感傷的な内容ばかりですみません…

2011年2月14日月曜日

I am an Occupational Therapist!

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バレンタインにもらったのはエビスのビールでした。tomoriです。
普段発泡酒なので,感謝です.


Anne G Fisher先生の言葉。

ドクターが立位訓練(機能訓練)をオーダーしてきた時、
あなたはドクターによく敬意を示した上で、

Noと言うべき。

私は作業療法士です。

私は彼にとって機能訓練が重要であることはよく理解しています。
しかしそれは私の役割ではない。それは理学療法のほうが良いと思うし、理学療法の仕事だと思う。私が焦点をあてるのは作業です。私たちはNoと言わなければいけない。それは簡単ではない。

非常に重度のうつ病のクライエント。ベッドで寝ていたいと希望する。
私たちは彼のそばにいって、作業に関する話を始めることができる。
私たちのゴールは、まず動けるようになったら何がしたいのか、寝たままでも何がしたいのか、その何かを見つけること。簡単ではない。でも私たちは信じている。時間をかけてクライエントを理解し、痛みを知り、尊敬すれば、クライエントが、もしかすると何かできるかもしれない、と言ってくれることを。それを知ることが出来れば、私たちは作業療法プロセスを始めることができる。それには良い治療関係が必要である。私たちは彼らを尊敬し、受け入れ、彼らの視点をできるかぎり理解することである。
もし彼がそれでも寝ていたい、死にたいと答えるならば。分かりました。また来ますとその場を去る。そして医師の薬物療法で二〜三日経過をみているうちに、何かできるかもしれないと言うかもしれない。

スウェーデンの文化ではドクターにNoということは非常に難しい。ごめんなさい。あなたの助けになることはできない。他所に行ってもらえますか? ということはかなり難しい。
おそらく日本でもそうだと思う。

でも私たちは強い意志を持ち、自分たちを信じて自信を持ち、私たちは作業療法士であるということを強く認識する必要がある。私たちはアートセラピストではないし、理学療法士でもない。簡単ではない。しかし私たちはそこがゴールであり、夢であり、そこに向かうことができる。

以上

NO というためには自分のなかで確固たるYESが必要だと 何かで見た.



私たちは作業の専門家であり、作業に焦点を当てる専門職。
それをセラピーと言えるのか?

僕は Yes と言える。
でももっと確信を持てるように研究をしていきたい。
皆さんも一緒にやりましょう。

皆さんはどうですか?
作業に焦点を当てた介入はセラピーと言えますか?
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